金崎夢生=柳沢敦+鈴木隆行?『鹿島FWの流儀』を科学する!

 昨年11月下旬の明治安田生命Jリーグチャンピオンシップから始まった鹿島アントラーズの快進撃。

 チャンピオンシップでは準決勝で川崎フロンターレを下し、決勝でも年間勝点首位の浦和レッズを破り、2009年以来の通算8度目のリーグ優勝を達成。

 続いて開催国王者として出場したFIFAクラブW杯では、オセアニア王者のオークランド・シティ(ニュージーランド)、アフリカ王者のマメロディ・サンダウンズFC (南アフリカ)を下し、さらに大会史上初めてアジアのチームが南米王者のアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)を下して決勝進出。決勝でも欧州王者のレアル・マドリー(スペイン)相手に一時は逆転して延長戦に持ち込んでの2-4の惜敗。準優勝の座を掴み、世界を驚かせました。

 その直後には興奮覚めやらないまま準々決勝から再開した天皇杯。チャンピオンシップとクラブW杯が続いた影響で体調不良者が多い中でも勝ち進み、決勝ではクラブ史上初タイトル獲得に燃える川崎と再戦。延長戦の末にシーズン2冠目となるタイトルを勝ち取り、2016年シーズンを締め括りました。

 天皇杯の制覇で主要タイトル獲得は19冠目。J1リーグが8度、ヤマザキナビスコカップ(現・YBCルヴァンカップ)が6度、天皇杯が5度と日本を代表する常勝クラブの強さをまざまざと見せつけました

 また、まだまだ25歳以下の主力選手も多い事から、新たな黄金期到来の予感も漂っています。


CSを制して2009年以来7年ぶり8度目のJ1優勝を決めた鹿島。その伝統を考察します!by ついっぷるトレンド

5度目の黄金期が到来か!?常勝・鹿島を支える伝統とは?

 鹿島はJリーグ創設1年目の第1ステージ(サントリーシリーズ)で優勝以来、強豪の地位を確立し続けています。もちろん、世代交代を必要とする主力入れ替えの時期にタイトルから遠ざかる時期はあったものの、それも2003年から2006年までの4年間が無冠期間の最長。その期間は日本人選手が初めて欧州各国リーグへ移籍する流れが出来始めた頃で、鹿島の場合もその影響が強かったと考えられます。

 そんなコンスタントにタイトルを獲り続けて来た鹿島に対し、年末年始のタイトルが懸かった重要な試合中継では、実況や解説者による『ジーコ・スピリット』や伝統のブラジル路線の継続がよく紹介されていました。しかし、「鹿島は創設以来25年間、この<4-4-2>を続けて来ました」などを筆頭に、明らかに事実とは異なった誇大広告のような紹介は如何なものなのか?と感じる事が、年末年始にはよくありました。

 2006年にはパウロ・アウトゥオリ監督の下、前年に彼が指揮してクラブW杯で優勝したサンパウロFC(ブラジル)時代に採用していた<3-5-2>を使っていたし、2012年はクラブOBでレジェンドでもあるジョルジーニョ監督の下で<4-1-3-2>を始め、中盤の構成をかなり試行錯誤したり、1トップを採用したシーズンもありました。

 上記2人の指揮官の成績は芳しくなく、共に1シーズン限りでの退任となりましたが、アウトゥオリ監督は高卒新人だったDF内田篤人選手(現シャルケ04/ドイツ)をレギュラーに抜擢。ジョルジーニョ監督はクラブ史上唯一のリーグ戦二桁順位(11位)となる不名誉な記録を作ってしまいましたが、ナビスコ杯を獲得。さらにFW大迫勇也選手(現・1FCケルン/ドイツ)を初めてFWのレギュラーとして使い、現在チームの10番を背負うMF柴崎岳選手も高卒2年目にしてレギュラーを務め、Jリーグベストヤングプレーヤー賞も受賞。こんな紆余曲折の時期に試行錯誤しながらも、クラブや日本を背負って立つ優秀な若手を育て上げた2人の指揮官による”ブレ”は必要不可欠だったと感じます。

 そもそも『伝統の<4-4-2>』と言っても、2トップが2人とも生粋のFWだった時代とは異なり、トニーニョ・セレーゾ監督の第2政権となった2003年から主力を張るMF土居聖真選手が2トップの1角に入る現在の<4-4-2>は、以前とは完全に運用形態は別物。

 そこで筆者は、鹿島の伝統となるモノを熟考したワケなのですが、それは『FWの動き出し』にあるのではないか?と思い、その流儀について考察します!

外国人&日本人による2トップ~大きな影響を与えたマジーニョ


柳沢を始めとする鹿島FW陣に大きな影響を与えたブラジル人FWマジーニョ。彼のキープ力や起点を作る動きは現在のエースFW金崎等にも受け継がれている。by Jleague.jp

 まず、鹿島の2トップとは伝統的には『外国人+日本人』で構成されてきました。それだけでなく、基本的にはDF・MF・FWに1人ずつ軸となるブラジル人選手を据え、日本人の選手を育成しながらチームの強化を図る策はこういった部分にも表れていました。

 鹿島の黄金期は創設当初の1993~1994年、世界的名手のジョルジーニョ選手やレオナルド選手が在籍した1996年~1998年、セレーゾ監督就任初年度で3冠を達成した2000年~2002年頃、オズワルド・オリベイラ監督就任からリーグ3連覇&5年連続主要タイトルを獲得した2007~2011年頃(2012年にもナビスコ制覇で6年連続タイトル)の4回に分けられると考えられます。

 それぞれ、「アルシンド&黒崎久志(長谷川祥之)」、「マジーニョ&柳沢敦」、「柳沢&鈴木隆行」、「マルキーニョス&興梠慎三(田代有三)」といったクラブの歴史に残るFWがチームを牽引して来ました。

 特に後続の選手にまで影響を与えた印象の強いFWとしては、マジーニョ選手(1995~2000年に在籍)とマルキーニョス選手(2007~2010年に在籍)の両ブラジル人が挙げられます。Jリーグの多くのクラブに在籍し、鹿島も来日7年目で5チーム目だったマルキーニョス選手の影響は共にプレーし、当時の若手であった興梠選手や田代選手、大迫選手にまで強烈な影響を与えています。

 また、鹿島だけに限らず、日本人のFWの選手に「誰をFWとして参考にしていますか?」との問いで最も名前が上がる柳沢選手(現・鹿島コーチ)自身は「マジーニョ選手から受けた影響が強い」と語ります。地味ながらも、FWがチーム全体を助けるキープ力や攻撃の起点となる動き出しやプレーの数々はマジーニョ選手から伝統的に伝わる『鹿島FWの流儀』になっています。

 マジーニョ選手退団後は柳沢選手と鈴木隆行選手による日本代表2トップが誕生し、マルキーニョス選手の退団前後にも興梠選手や田代選手、大迫選手という3人の代表FWを続けて輩出している事も、この2人のブラジル人FWの影響力の大きさを感じさせます。

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『鹿島の流儀』は”勝点を奪えるFW”~一切無駄のない動き出しの優先順位


鹿島のレジェンドFW柳沢。鹿島でリーグ戦2桁得点は僅か2回(他に京都で1回)。得点は量産できないかもしれないが、勝点を量産する『鹿島の流儀』を体現するFWは、現在コーチとして鈴木優や赤崎ら若手FWの指導にも取り組んでいる。by サッカー各国クラブユニフォーム

 そんな鹿島のFWを注意深く見ていると、ある特徴が発見できました。それは『動き出し』の部分です。

 カウンターや速攻時には相手DFライン裏へ抜ける事を優先しますが、基本的にはまずは①最前線でパスを受ける事を模索し、クサビとなる縦パスを足下で受けてワンツーの的や自ら攻撃の起点になろうとします。そこでパスを受けられなかった場合、次は②中盤へ降りてワンタッチやツータッチでシンプルにボールを捌きます。

 それでもボールを受けられなかった場合は③サイドへ開いて足下へ受け、味方が攻めあがるタメを作るため、あるいはサイド攻撃で数的優位を作る仕掛けに関与します。

 そこでも受けれなかった場合は④サイドに開いたポジションから相手DF裏へのスペースへ走り込みます。すでに自分がいったん中盤へ引いてからサイドに開く動きをしているため、相手DFライン裏にはたいていスペースが拡がっています。そのためスペースを自ら作る予備動作は必要ありません。と言うよりも、通常の動きが全てスペースを作るための予備動作となるよう、その動き出しの順番や組み合わせに一切の無駄がない抜け目のない動き方が備わっているのでしょう。

 ちなみに④の動きをしてもボールが来なかった場合はオフサイドラインに入ってしまいますが、オンサイドに戻った場合に次は①のクサビのパスを受ける動きに戻りやすくなります。FWに限定されているとはいえ、そのFWの動きを効果的に使うという意味でも、これこそまさに、『鹿島の流儀』を見た気がします。

鹿島FWの動き出しルーティーン

①クサビとなる縦パスを受ける。
②中盤に引いてシンプルにボールを捌く。
③サイドに開いて起点となる。
④サイドに開いたポジションから裏のスペースへ抜ける
以上の①~④を順番に繰り返し、④が終わると①に戻る。

金崎夢生=柳沢敦+鈴木隆行=鈴木優磨


現在のエースFW金崎(左)と20歳の鈴木優(右)は柳沢と鈴木隆のプレースタイルを兼ね合わせたようなFW。by アニマルジャーニー

 ただ、面白い事にこれだけ優秀なFW陣を輩出し続け、チームとしてはJリーグで断トツのタイトル獲得数を誇っているにも関わらず、鹿島所属で得点王を獲得したのは2008年のマルキーニョス選手の1回限りです。

 そのマルキーニョス選手が歴代FW陣の中でも最も守備に運動量を割いたハードワーカーだった事が象徴しているように、鹿島のFWには攻守に渡って運動量を要求されます。その負担が個人としての得点量産にはあまり繋がらず、得点王どころか1シーズンで15得点を越える選手も少ない傾向にあります。実際、マルキーニョス選手も得点王を獲得したシーズン以外は15得点以下に終わっています。

 また、鹿島はチームとしてカウンター攻撃を必殺の武器として常備しているため、水準以上のスピードは必要不可欠。典型的なポストプレイヤーはフィットできないのは歴史が証明しており、田代選手や長谷川選手のようなストロングヘッダーでもスピードを兼備していました。

 「FWも11人の1人」として守備参加はもちろん、組織的な攻撃の一部として機能性を求められるのはサッカーという競技が進めば進むほどに、その度合いは増しています。鹿島はFWを11分の1として見立ててチーム作りをして来た日本では最初のチーム。それゆえ、FWに対する要求が多岐に渡る現代に置いて、その継続の強みが出ているからこそ強さを発揮しているように感じます。

 その点に置いても面白いのが現在の鹿島のエースFW金崎夢生選手。彼は欧州移籍を経験し、技巧派ドリブラーからタフなFWへと変身した『海外組』でもあるため、現在のチームの若手にマジーニョ選手やマルキーニョス選手が与えたような影響や刺激、経験を注入しています。海外組がJリーグに復帰して与えられる影響力はJリーグが25年目を迎える成長の証です。

 しかも上記したように、現在のチームの2トップには土居選手のような攻撃的MFが組み込まれる実質は1トップ。金崎選手のプレースタイルを見ていると、上記したような『鹿島FWの流儀』の動き出しを繰り返しながらも、柳沢選手のような技巧的な部分と鈴木隆行選手の野性的な部分を兼ね備えているように見えます。鹿島のFWもスケールアップしているのです。

 そんな金崎選手を見ながら日進月歩の成長を見せ続ける20歳のFW鈴木優磨選手もまた、金崎選手のように1人で前線を任せられるタフなFWに成長しそうな気配が漂っています。

 鹿島のFWは動き出しに鋭さがあり、相手との駆け引きに優れていますが、自らの得点はそれほどでもない。でも代表クラスのFWは輩出していて、何よりチームは歴代で考えると他クラブに比類なき強さを見せている。鹿島のFWは「得点」を奪う事よりも、「勝点」を奪う事に長けているのもかもしれません。

 2列目の選手が欧州クラブに高く評価される日本。FW以上に得点力のある彼等を活かすためにも、日本代表はストライカーの不足を嘆いたり、課題に挙げたりするよりも、鹿島のようにFWにも組織的な攻撃に関与するような役割を与えた方が良いのではないでしょうか?

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