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ガンバ大阪史上最高傑作と評された男が川崎フロンターレに!家長昭博選手の軌跡

扇ガ谷 道房

2017/01/14 22:06

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NEWS

海外デビューに活路を求めて

ヨーロッパの主要リーグの一つであるスペインのリーガ・エスパニョーラ。家長選手が初の海外移籍を果たしたのはこのリーグのRCDマヨルカというクラブでした。1916年創設のクラブで、FC東京の大久保嘉人選手も在籍経験がある、リーガ・エスパニョーラでは中堅どころのクラブです。
ガンバ大阪からレンタル移籍した3年間の不本意な状態を打開すべく、完全移籍という形で初の海外リーグに参戦しました。
当初はヨーロッパ外国籍の選手保有制限によって登録されなかった為に出場できなかったものの、移籍初年度は14試合に出場して2得点という結果を残します。
世界最高峰リーグですから、悪い成績とは必ずしも言えないものの、クラブに圧倒的な印象を与えられなかったのも事実です。翌年には新たな監督の構想外となり4試合にしか出場することができませんでした。


by 海外プロサッカーリーグで活躍する日本人

移籍先々で下位リーグ降格を経験

選手にとって出場機会を求めるのは当たり前の事。家長選手がRCDマヨルカから2012年途中に移籍したクラブは意外にも韓国Kリーグの蔚山現代FCでした。
しかしこのクラブでも思うように出場機会を得られず、この年の夏には古巣のガンバ大阪にレンタル移籍することになるのです。しかしこの年、ガンバ大阪は何とJ2に降格してしまいます。
2013年シーズンを初めてJ2を経験するも、夏に契約が満了しRCDマヨルカに復帰。しかし、今度はRCDマヨルカがリーガ・エスパニョーラの2部に降格していたのでした。
2008年にガンバ大阪を離れて以降、新天地に活路を見出す移籍を繰り返すも、家長選手の置かれる状況が好転することはありませんでした。しかし、2014年に大宮アルディージャに完全移籍すると、漸くスタメンの座を確保し、チームの要としての位置を任される様になりました。
ところが今度はチームに不幸が訪れます。家長選手が移籍した年にJ2降格が決定してしまいます。2015年シーズンは二度目のJ2を経験することになりました。家長選手はチームの司令塔としての役割を全うし、チームはJ2優勝を果たし、見事に1年でJ1復帰を果たす原動力になりました。
そしてJ1に復帰した2016年、大宮アルディージャはクラブ史上最高順位の5位でシーズンを終え、天皇杯でもクラブ史上最高順位のベスト4まで進出しました。家長選手個人的にはJ(1)リーグでの自らの最高得点である11得点をマークします。そして、契約満了に伴い2017年は川崎フロンターレに移籍することになったのでした。


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代表に召集されるべき人材

同じクラブのジュニアユース出身で、全く同じ誕生日であることから、家長選手は本田選手(ACミラン)とよく比較されます。
少年期の評価と成熟期の評価が如実に違っている事もその大きな話題性として取り上げられます。
現在共に30歳。プロサッカー選手としては円熟期を迎えていますが、二人の評価は又もや変化を遂げていると筆者は感じています。
現在本田選手はACミランで出場機会を与えられていない立場であり、日本代表での立場にも自ずと影響を与え初めています。
一方、大宮アルディージャで復活を遂げた家長選手のプレーには、今までのサッカー人生で苦汁を舐めて来た分だけ、深みと味わいが増しています。
家長選手は、かつてガンバ大阪の最高傑作と言われながら、ガンバ大阪で活躍する事が叶わず、移籍を繰り返し、定位置が定まらないサッカー人生を歩んで来ました。
しかし、天才選手の力量は、漸く今花開いていると筆者は思っています。
視野の広さ、的確な状況判断、ボール保持能力の高さ、神出鬼没な流動性、足回りの技術の高さ、相手を翻弄するドリブル、周囲を活かす戦術眼、どれをとっても余人に代え難い高いスキルを擁しています。
周囲を活かすこともできて、自ら打開して得点する事もできるポリバレントな選手。それが家長選手です。
日本代表に選出される選手は、数年後のW杯を目指して、若年層の実力者や海外クラブ所属選手が多く選出されていますが、どうか日本代表監督には家長選手という至宝の存在を忘れないで欲しいと筆者は願っています。


by livedoorスポーツ

今シーズンは川崎フロンターレというJ1上位クラブでプレーすることになり、一躍注目度も上がる事が期待されます。
そして日本代表に復帰する事を切に願いたい選手が家長選手です。

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