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選手時代の古巣に就任。セレッソ大阪の新監督・尹晶煥(ユン・ジョンファン)のキャリア

扇ガ谷 道房

2016/12/13 22:01

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NEWS

日本の地でサッカー指導者人生を開始

選手を引退した翌年2008年に、尹晶煥監督はサガン鳥栖のテクニカルアドバイザーに就任します。トップチームの指導者ではなく、ユースチームやサッカースクールでの指導等の他、地元の子供達にサッカーを教えるという普及活動が主たる仕事でした。
しかし、将来の指導者を見据えてその年の内にAFCのA級ライセンスを取得しました。そして2009年には早くもトップチームのコーチに抜擢されます。来シーズンからの監督としての抜擢でしたが、AFCのA級ライセンスではJリーグの監督要件を満たす事ができないことが判明し、2010年はクラブ唯一のS級ライセンス保持者である松本育生GMが形だけ監督に就任し、実質的には尹晶煥監督が指揮を執るという変則スタイルでシーズンを運営する事になりました。
その年の内にJFA公認S級コーチライセンスを取得し、2011年には晴れてサガン鳥栖の監督に就任したのです。Kリーグ出身者で、しかも同年のJリーグ監督中最年少である37歳という、フレッシュな監督の誕生でした。


by 일요서울

前代未聞の解任劇

サガン鳥栖のサッカーは運動量の多い野性味のあるサッカーが魅力です。Jリーグのクラブとしては歴史も浅く経営環境も厳しいという事もあり、スター選手と言える選手は数多く所属していません。有力選手を移籍させてチームを劇的に活性化するという戦略は期待できないので、自ずと現有勢力の運動量で勝負する必要に迫られての戦術と言えます。
ですが一方では、少ない戦力で如何に勝つかという意味では、監督冥利に尽きるクラブであるとも言えます。尹晶煥監督にとっては、力量が過分無く発揮できるクラブを任されたと言えます。
着任した2011年J2のサガン鳥栖は、後半戦で16試合連続負け無しという驚異的な記録を打ち立てて、見事2位でJ1昇格を果たします。尹晶煥監督がプロサッカークラブの監督として初年度に達成した見事な仕事振りでした。
J2のクラブを見事にJ1に昇格させた手腕は見事で、J1昇格後もJ2に降格するどころか、つい最近までJ2だったクラブとは思えない様な成績を残し、九州唯一のJ1クラブとしての力量を発揮しています。
しかし、電撃的な解任劇が発表されてしまうのです。2014年8月7日、J1首位に立っていたサガン鳥栖は尹晶煥監督を解任してしまいました。今でもその理由は明らかにされておらず、憶測が飛び交っている不可解な解任劇でした。
通常シーズン途中での監督解任は、想定外の成績不振が原因で発表されるものですが、J1首位クラブの監督が突如解任されるというのは前代未聞の出来事として今も語り継がれています。


by オーレ!サガン鳥栖

魅力溢れる人格者

帰国した尹晶煥監督は2015年に蔚山現代FCの監督に就任し、2シーズンの期間を経て、2017年シーズンから古巣のセレッソ大阪の監督としてJリーグに戻って来る事になりました。
セレッソ大阪がJ2に降格した時も、韓国に帰らずチームに残って1シーズンでチームを昇格させた責任感のある方です。
サガン鳥栖での解任劇はとても残念な出来事でしたが、その当時もエピソードが残っています。チームの主力選手であるFWの豊田陽平選手がW杯ブラジル大会に選手されなかった時に、「自分も同じような思いをしたことはあるから、気持ちは分かる」と慰めたと言われています。
セレッソ大阪の監督就任に際して、「今までセレッソ大阪の事を忘れた事はなく、このように監督としてこのチームに戻って来る事が出来て本当に嬉しく感謝しています。」と語っておられます。
この様に、責任感があり、選手想いで、日本という国を愛し、日韓の友好関係をサッカーを通じて体現している魅力的な監督が、来シーズンのセレッソ大阪監督に就任する尹晶煥監督です。


by オーレ!サガン鳥栖

近い様でなかなか遠い国と言われている韓国。日韓の間には様々な課題が現存しています。しかし、サッカーというグローバルスポーツは、そんな近しく遠い国の関係も解消してくれる力があります。
日韓のサッカーに精通している親日的で人間味のある韓国人監督である尹晶煥監督率いるセレッソ大阪の来シーズンが楽しみです!

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