ポリバレントな能力をアジアチャンピオンクラブで活かす
2007年、阿部選手は国内最高額と言われる3億5千万円の移籍金で浦和レッズに移籍しました。浦和レッズは前年の2006年に悲願のJリーグ初優勝を果たしたばかりで、浦和レッズ史上最強と言われるメンバーが揃っていました。
この年、浦和レッズは最終節で無念のJリーグ2連覇を逃してしまいますが、ACLを見事に制してJリーグのクラブとして初のアジアチャンピオンに輝きました。そして年末のクラブW杯にアジアチャンピオンとして出場し、惜しくもヨーロッパチャンピオンのACミランに敗れたものの、見事世界3位の称号を手に入れました。
特筆すべきはACLの戦いにおいて、グループリーグから決勝まで全試合で無敗だった事です。そこには守備的MFとしてチームを守り続けた阿部選手の力量が活かされていました。
阿部選手は2005年から日本代表に召集されていて、代表とクラブの掛け持ち状態が続きます。浦和レッズに移籍した年は、Jリーグ、ACL、日本代表と三つの戦いの現場を掛け持ちしていました。心身共に相当疲弊する筈ですが、休むことなく試合に出場し続けます。
そして2010年にはW杯南アフリカ大会に出場を果たします。一方で浦和レッズはアジアチャンピオンに輝いて以降チームは下降線を描いていました。個人的にはW杯出場というサッカー選手としては最高の栄誉を手にしながら、所属クラブの浦和レッズは下位低迷という捻じれた状態にありました。
その状況にあって2011年、阿部選手はイングランド2部に所属するレスター・シティFCに移籍します。現在プレミアリーグで日本代表の岡崎慎二選手が所属し、昨年プレミアリーグ史上で最も奇跡と呼ばれた優勝を勝ち取ったレスター・シティFCです。阿部選手が移籍した2011年はプレミアリーグ所属ではなく、阿部選手が退団後に奇跡の躍進を遂げたという曰くがあります。
結局在籍は2年間で52試合に出場し2得点という成績を残して、2013年に再び浦和レッズに戻って来ました。
オシム監督の弟と言われる師の元で
阿部選手がレスター・シティFCに移籍した後の浦和レッズは崩壊寸前まで追い込まれてしまいます。2011年シーズンは二度目のJ2への降格が目の前まで迫り来る状態でシーズンを終了します。
そこに登場したのが現在の監督でもあるミハイロ・ペトロヴィッチ監督(以降ミシャ監督と記載)でした。ミシャ監督はオーストリアのSKシュトゥルム・グラーツでオシム監督が指揮している時のコーチで、その後SKシュトゥルム・グラーツの監督を務めたという経緯があります。二人は子弟の関係にある程に深い関係と言われています。確かにミシャ監督のインタビューを聞いていると、オシム監督の話法と内容に共通性があると感じます。やはり子弟なんですね。
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阿部選手は浦和レッズに復帰すると、ミシャ監督から早速キャプテンに指名されます。期しくも、阿部選手はオシム監督に薫陶を受けて、オシム監督の弟と呼ばれる監督を師に仰ぎ、再びキャプテンになりました。
ミシャ監督の浦和レッズでも、阿部選手のポリバレント性は必要不可欠な存在として継続します。槙野智章選手と森脇良太選手という超攻撃的な両サイドバックを擁する浦和レッズでは、両者がサイド攻撃を開始すると当然守備が手薄になります。阿部選手はその状況を的確に判断して、両者のカバーの為にDFのポジションに下がるのです。当たり前の事ですが、ポリバレントな能力がある上にゲーム状況を的確に判断できる能力に長けているからこそできる戦術でありポジショニングです。
この様に、オシム監督に薫陶を受けたポリバレント性が、オシム監督の弟と呼ばれるミシャ監督の浦和レッズでも活かされており、浦和レッズに必要欠くべからぬ選手として常にピッチに立ち続けているのです。その結果が500試合出場という大記録に繋がったと言えます。
by JFA
二度目の最年少記録
浦和レッズには阿部選手以前にポリバレントな選手が存在していました。2013年シーズンで引退し、現在ユースチームのサポートコーチを務める山田暢久さんです。
FWからDFまでどこでもこなすという超ポリバレントな選手であり、しかも怪我をしない強靭なフィジカルの持ち主で、生涯通算501試合出場という大記録を残して引退されました。
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阿部選手は山田暢久さんに次いで浦和レッズの選手として史上二人目のJリーグ通算500試合出場という大記録を打ち立てて、尚現役でその記録を伸ばしているのです。
Jリーグ500試合出場記録は史上6人目で、現役選手としては4人目の快挙となりました。その上で阿部選手は史上最年少でJリーグ500試合出場を果たしています。ですから、これからも記録を更新し続けて、更なる出場記録を生み出す可能性が最も高い選手と言えます。
16歳で史上最年少Jリーグ出場記録を作った阿部選手が、35歳で史上最年少Jリーグ500試合出場記録を作るという、二つの史上最年少記録を達成していると言うのは驚きであり又事実なのです!
更に阿部選手は、J1リーグで124試合連続フル出場も続けていて、歴代最高記録を持つサンフレッチェ広島の水本裕貴選手の137試合に迫っています。日本サッカー界の鉄人と言っても過言ではありません。
by SoccerHacker
強烈なリーダーシップでチームを引っ張るキャプテン像とは全く違い、穏健で温厚な性格でチームをまとめ上げるキャプテンである阿部選手。今シーズン、阿部選手のキャプテンシーもあって、浦和レッズは初代ルヴァン杯を制し、Jリーグ年間勝ち点第一位にも輝きました。
そして個人としても史上最年少で達成したJリーグ500試合出場記録と連続フル出場記録の両方をどんどん更新して、史上最多出場記録と連続フル出場記録を打ち立てて欲しい選手です。
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