宇佐美、原口にも負けない『ドリブル・キング』
京都時代の駒井は主将も務めるなど、5年間でJ2通算171試合に出場。知る人ぞ知る『ドリブルキング』として名を馳せていた。by Twitter@sangafc
今季プロ6年目にしてJ1デビューを果たした駒井選手ですが、その実力はJ2をよく知る人なら誰もが知る存在。特にそのドリブルについては『J2マガジン』(ベースボールマガジン社発行)を始め、各種媒体で「J2最強ドリブラー」として名を馳せています。
上半身のしなやかな動きや繊細なボールタッチは、同い年にして同じ京都府出身のドリブラーでもある日本代表FW宇佐美貴史選手(現アウクスブルク/ドイツ)を彷彿させ、アグレッシヴさやボールに絡む回数の多さは、浦和OBの日本代表FW原口元気選手(現ヘルタ・ベルリン/ドイツ)を想起させるようなドリブルは、まさに『ドリブルキング』です。ことドリブルだけの能力ならば日本代表クラスの選手です。
そんなスケールの大きな選手でありながら同年代の上記2選手とは違い、今までJ2で燻り続けた最大の理由は、得点力が著しく乏しいため。この深刻な弱点のため、京都では1年目から主力に抜擢されて一貫してレギュラーを掴むものの、そのポジションは本職のサイドMFやトップ下、ウイングだけでなく、FWやボランチ、サイドバックなどシーズンによってポジションは変化していきました。
「センターバック以外のポジションを全てこなせるオールラウンドな能力を持つ」と言えば聞こえは良いものの、いつしか器用貧乏な選手にも見えていました。
ただ、どんなポジションで起用されても、駒井選手は自身の最大のストロングポイントであるドリブルだけは捨てずにトライし続けました。その上で運動量を上げ、守備力やオフ・ザ・ボールでの動きでも貢献できるタフな選手に成熟し、主将も務めました。
それが古巣・京都では開花しきれませんでしたが、大きな決断を伴った浦和への移籍で大きな花を咲かせようとしています。
シーズンが深まる中、ビッグマッチで輝く『稀代のドリブラー』
共に完全な控え要員からルヴァン杯制覇に貢献した高木(左)と駒井。by Jleague.jp
とはいえ、有力選手が揃う浦和では加入当初に先発出場の機会には恵まれませんでした。それだけでなく、上記したACLラウンド16第2レグではPK戦で8人目のキッカーとして登場しながら失敗。「人生最悪の経験」(駒井選手・談)で絶望の淵に立たされていました。
それでも日本代表MF柏木選手のようなパサーだけでなく、就任5年目を迎えているミハイロ・ペトロヴィッチ監督の下で確固たる組織的なパスサッカーが浸透している浦和は、駒井選手のような『ドリブルキング』を求めていました。駒井選手もまた、自身のドリブルでの仕掛けを遺憾なく発揮できる環境を求めていました。
そして、14年過ごした古巣から浦和へ加入する決断を下した駒井選手は、不退転の想いを胸にチャンスを掴みました。
シーズンが深まるにつれて負傷者を含めた離脱者が出てくる中、浦和独自のスタイルにも適応した駒井選手は、ここへ来て自身の持ち味であるドリブルをチームの武器として発揮できるようになりました。
ルヴァン杯決勝の2週間前にもG大阪とリーグ戦で対決したばかりだった浦和は、再三に渡って突破口となり、起点となり続けた駒井選手のいる右サイドから堅守・G大阪を完全攻略。4-0の圧勝に導きました。
そしてルヴァン杯決勝、浦和は前半のうちに左サイドのMF宇賀神友弥選手が負傷。ベンチから緊急出場した駒井選手でしたが、劣勢の試合展開の中で2週間前のように右サイドからのドリブルで攻撃の起点となり、チームに流れを呼び込む活躍を披露。チームの9年ぶりの主要タイトル獲得に貢献しました。
駒井選手は未だにJ1では無得点で得点力不足は解消できていませんが、覚醒の時を迎えているのは、その迫力溢れるプレーから見ても確か。チームへの貢献度も高いため、彼の待望のJ1初得点が決まった時、大きな祝福を受ける事でしょう。
24歳となったシーズンにJ1デビューの『遅れて来た稀代のドリブラー』駒井選手。今後もシーズン佳境となってタイトルが懸かるビッグマッチが続く中、彼は浦和レッズにとって大きな存在となっていくでしょう!
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