アフリカでプレーする唯一の現役日本人プレーヤー。中村元樹選手インタビュー 後編

アルバニア、マラウイで日本人初のプロ契約を結んだ中村元樹選手。前編では高校卒業からプロ入りするまで、また世界各国のサッカーについてお話を伺いました。
後編はマラウイ・プレミアディジョンへの移籍の経緯、マラウイサッカー、そして中村選手のピッチ外での活動などをインタビューしました。

インタビュー前編


2016年3月にビィ・フォワードワンダラーズとプロ契約

「全大陸のサッカーが見たい」との思いからマラウイへ

マラウイの話を伺います。今年の4月にマラウイ・プレミアディジョンのビィ・フォワードワンダラーズFCと契約し、マラウイ初の日本人プロサッカー選手になられました。マラウイに移籍する経緯、マラウイを選んだ理由を教えてください。

そうですね。契約してない国もいっぱいあるので正式なものではないんですが、これまで僕がサッカーで行った世界の中で、北米ならニューヨーク・コスモス(アメリカ)、南米だったらペルーやブラジル、ヨーロッパならドイツやアルバニア、アジアだったらラオスやフィリピン、インドなどなどたくさんの国を訪れ自分の目でその国のサッカーを見てきました。そこで全大陸のサッカーを見てみたいなって思えました。全部の大陸のサッカーを見て色んな経験をする事で、僕のサッカー人生をより彩りたいと思い、ラオスにいた時からアフリカへ行きたいなという思いを持っていました。ラオスとの契約が2年半ありましたが、そこで2年半いたら30歳になるので、その後にアフリカ行こうと思ってもなかなか行けないだろうなと考えました。そこで話をして契約を解除してもらって、アフリカでずっとチームを探してました。

元々はガーナのチームであるハーツ・オブ・オークという、チームと、コートジボワールのASECミモザの二チームが来ても良いと言ってくれました。練習参加のインビテーションレターも貰ったりして行く準備をしていました。けれど、僕が膝の口十字靭帯を痛めてしまって、その間に移籍市場が閉まってしまい、結局そこからどこにも行くあてがなくなりました。どうしようか迷いながらも、チェコに自分が選手のマネージメント業をしているチームがあります。そこに選手を何人か(チェコのチームに)送り、自分も一緒にプレーして身体を作りながら、ずっとアフリカでチームを探していました。

それは大変でしたね。アフリカでクラブを探すのは予想以上に難しいのですね。

そうですね、エージェントもさすがにアフリカにコンタクトがなく、自分で動いてました。そこでたまたま知り合いがアフリカにいて、Facebookでその知り合いとちょっと話をしたら、(知り合いが)マラウイという国にいるんだという聞いて、「マラウイってどこやねん」と思いましたよ(笑)。場所も分からないし、国の状況とかも全然分かりませんし、自分で調べて「どんな国なんだ」と見ていました。そのついでにサッカーも見てみたら、日本の企業で車輸出をしているBeforwardという会社がスポンサリングしているチーム(ビィ・フォワードワンダラーズ)を見つけました。もちろんワンダラーズにも連絡しましたし、他のチームにも色々連絡して返事をもらいました、いくつかチームから連絡をもえたのでマラウイにとりあえず行くことにしました。

始めマラウイに対してはどのようなイメージを持っていましたか?

失礼ながらイメージが全く持てない国でしたね。国のイメージは全くなかったので、アフリカの国っていう印象だけでしたね。マラウイの位置はタンザニア、ザンビアが隣国で、それ自体も元々知らなかったんですけど。それで、飛行機に乗ってチェコから行きました、急遽タンザニアで飛行機の乗り換えができなくて二日間滞在するっていうアフリカの洗礼を受けましたが、最終的にマラウイ行きの飛行機に乗れました。ですが飛行機がどんどん下降していっても一向に街が見えずで、到着直前になっても全くもって街が出てきませんでした。もう草、草、草みたいな(笑)、飛行場とかもなくて草原に降り立つんじゃないかと。マラウイの空港近辺も何もなくて、その瞬間にマラウイでやっていけるのかなとすごく心配しました。

けれど、今ここに来てみて思うのは、マラウイの人たちは本当に温かいです。みんなすごいフレンドリーで、すごく平和的というか、アフリカですけど治安が良いんですよ。アフリカの温かい心と言われる「ワォーム・ハート・オブ・アフリカ」は、マラウイの人たちを表しています。本当にそんな感じでみんな温かい人たちで、僕が思っていたイメージは覆されましたね。

また、ここに来る前から報道が大きくされており着いても入国審査もスルーで何故だか凄いスター扱いされていて、マラウィ中どこを歩いていても「ナカムラー元気?」と声を掛けくれ、いつもその優しさとフレンドリーさ癒され助けられてます。


フレンドリーで平和的なマラウイの人々

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マラウイサッカーについて

チームについてもお聞きします。中村選手が所属しているビィ・フォワードワンダラーズFCはマラウイ・プレミアディビジョンで優勝5回、先日行われていたカールスバーグカップで二年連続優勝を果たしました。チームについてはどう思われていますか?

そうですね。今ワンダラーズ自体は、ビィ・フォワードさんという日本の会社が来てくれたおかげで近隣のチームよりはお金も持っているので、どんどん選手を集めているとこなんです。それで、南アフリカであったり、モザンビークであったりと海外でプレーするマラウイの選手たちをどんどん今クラブへ戻してきているところで、代表の選手もほとんどうちから出ています。(アフリカチャンピオン)マゼンべ(コンゴ民主共和国)でプレーしていた選手がうちに来ていたりします。今マラウイの中では断トツトップのチームにはなっているので、すごい技術の高い選手も多いですし、選手の能力は僕が来る前に思っていたものよりも高かったです。

ただ問題なのが、どうしても戦術を共有する意識が薄いんですよ。だから、結局は個人個人に任せたサッカーになってしまって、ロングボールを蹴って一人で崩してチャンスメイクからのゴールみたいなシーンがほとんどです。自分たちがどういうサッカーをして、どういう守備戦術を持ってボールを取り返すのかとか、サッカーの細かい部分が欠けています。どうしても選手のレベルは高くても、サッカーではあまり違いを見せられてないというのが現状です。良い選手はいっぱいいます。もっと雑なのかなと思っていたんですけど、丁寧な選手も意外と多いですし。今リーグ戦では良い順位にいませんが、それは自分たちのサッカーが無いというのが原因なのかなと思っています。

例えばボールポゼッションをしていくならば、ボールをキープしてボールを失わないサッカーを詳しく突き詰めてやらないといけないんですが、ちょっと浅はかなところで終わってしまう。「ただキープしたらいいよ」みたいな、「それがボールポゼッションだ」みたいなところで終わってしまうのが多いですね。結局そのボールポゼッションがゴールにリンクしてない。窮屈な状態になったらサイドチェンジしたらいいのに、結局窮屈なところでロングキックに逃げちゃうとか。そこに対してもっと詳しく、細かくしていったらさらに良いチームにはなるかなと思います。


所属するワンダラーズはリーグ優勝5回を誇る

続いてマラウイのサッカーについて伺います。マラウイ代表はFIFAランキング(2016年8月11日付)127位です。マラウイサッカーのスタイル、特徴などはありますか?

そうですね。正直、まだ代表も自分たちのサッカーが無いですね。だから、その場しのぎのサッカーで、どちらかといえばロングボール主体のサッカーですけど、まだまだ自分たちのスタイルは少ないかなと思います。その辺ができてくればより良いチームにはなるんだろうなとは思いますね。

(それはワンダラーズとも相通ずるのでは?)そうですね。やはりそこは課題かなとは思います。小さな国ですけど、選手自体のレベルは本当高いので、南アフリカのチームに流れていくことも多いですし、モザンビークなどの近隣にあるより良いチームへ流れるというのもすごく多いんですよ、マラウイには国外でやっている選手も多いですから、代表の個々の能力自体はワンダラーズと概ね一緒だと思います。より一層スタイルと自分たちのフィロソフィーを持って、今後プラン作りしてやっていけば多分もっともっと強くなるなと思います。

ピッチ外でも様々な活動

中村選手はブログで、「日本とマラウイを繋ぐ活動がしたい」ということをおっしゃっていましたが、今の時点で考えられている具体的なプランはあるのでしょうか?

6月に愛媛FCさんから中古のボールを頂いて、マラウイの学校の子供たちに配ったりしました。今のマラウイの現状はみんなビニール袋を集めて丸めたようなサッカーボール、プラスチックのボールみたいなボールでサッカーしているのがほとんどです。それでもみんな技術が結構あったりするので、環境にも関わらずそれだけ能力のある選手が出てくるのは、それだけサッカーに熱があるからだと思うんですよ。ボールを渡した際も子供達は踊って喜んでました。サッカー愛がすごくある国だと思いますし、ここにちゃんとした環境を作ってあげることで、そういった選手たちがもっとレベルが高い選手になると思います。せっかく来させてもらい、素晴らしい経験をさせてもらっている国ですので、環境づくりをちょっとでもお手伝いできればありがたいなと。それが子供たちにボールをあげたり、今まで学んだ指導などを伝えたり。先月もこっちのアカデミーみたいなところが集まって、そこでサッカーの指導や指導者に対しても軽く教えてあげたりしました。こっちでは練習もただ試合をするだけと言うのも多いので、そういったことを個人的にはやったりしています。

日本自体も東京オリンピックに向けて「SPORTS FOR TOMORROW」という活動をしています。色々な国で支援活動をしたり、東京オリンピックへ向けて色々な国で選手を作るというそういった動きもあります。この支援に対しても協力的に対応してくれているので、大使館などとも一緒に日本で使わなくなったボールとかをこっち(マラウイ)で寄付する活動もしていければと思っています。JICAとJFAやJリーグが三者協定を結んだのですが、マラウイにも興味を持ってくれているみたいなので、一緒に環境づくりであったり、さっき言ったような活動を一緒に行っていけたらなといいな思っています。あとは自分が個人的に自分のスクールで使わなくなった物などを集めたりして、動かさしてもらっています。


マラウイでサッカー教室、日本では自身のサッカースクールも持つ

中村選手は日本でサッカースクール「Global Football Academy」のアドバイザーも務められています。この活動はセカンドキャリアのことを考えてのことなのでしょうか?

そうですね。僕は学歴もないし、プロになる可能性も凄い低かった人間なのにサッカーばかりしていて、社会に出た時に何もないと思っていて、海外に出て語学を学ぶことや、人生経験を積むこと、それと一緒に色々な繋がりを作っていかないと、僕自身のサッカー人生が終わったら路頭に迷うなと思っていたんです。それを18の時からずっと考えていて、語学を勉強したり、色々な人と知り合う事を積極的にすることができたんです。26歳の時にニューヨーク・コスモスで怪我をして、半年くらいサッカーができなくなりました。その時に、「もう出来なくなったときのことを考えないといけない」と思っていました、その時にたまたまグラウンドを貸してくれるところを見つけたのがスクールを始めるきっかけでした。

僕自身、ドイツにいた時から色々なことを学びたかったので、自分がサッカーをしながら子供たちの指導をやっていたんですよ。それで勉強したりしていたんですけど、ドイツの指導や練習方法や子供も好きなので、サッカースクールをやろうと思い始めたのがきっかけなんです。ただやっていると子供たちから良い刺激をもらえますし、子供たちに憧れてもらえるような存在にならないと思いながら一緒にやっています。他にもエージェント業もやっていまして、今ちょうどチェコのチームの共同オーナーにならないかという話もあります。また違うビジネスもやっていたりとサイドビジネスもちょっとずつセカンドキャリアの為に動き始めています。

バイブルは「武士道」。日本人の心を大切に

海外でプレーしている中村選手ですけど、日本に帰ってきてプレーするなど、日本で暮らすことを考えていますか。海外でずっと暮らしていきたいなど、人生のプランニングはありますか?

色んな国に行かせてもらってたくさんの経験をさせてもらいましたが、結局日本がすごく好きなんですよ。やっぱり日本が一番好きな国なので、サッカーを終えた後も日本を拠点にして動くようにはしたいなと思っています。サッカーに関しても、行けるチャンスがあるのであれば、日本に戻りたい気持ちはもちろんあります。ただ、自分の人生のプランを考えた時に、海外と日本でどっちが有意義な時間になるのかを比べながらかなとは思っています。いつかは日本に帰って家族や友達の前でプレーしたい気持ちはやっぱりありますが。日本を出て日本を外から見られたことによって日本の良さに気付きましたし、日本の良さを伝えたいなというのも思います。そこは海外に出なかったら気付かなかったというのはあります。

今もそうですけど、僕は海外に出る時にずっと日本人として、日本人の心を持って行動しないといけないなと思っています。海外での小さな一つの行動でも日本人の評価が落とされたりすることは結構あります。自分の行動を考えながら動くようにしてます。また日本を出る時は、必ず武士道の本を持って行くんですよ。僕は武士道を見て感化された人間でして、海外へ行く時はバイブル的な感じでよく読みますね。(海外の)選手も日本人が来たら、その日本人を見て評価するわけで。なので選手として100点であっても、人間として0点だったら日本人の評価は下がると思うんです。

やっぱり海外へ出る時は特に人間として、尊敬されるような人間でないとと思います。それに対して努力しないとも駄目だなとは思って、その日本人としての何がベーシックなのかなと考えた時に武士道が僕の中では一番しっくりきたんです。それを持ち歩いて、読みながらいつもニヤニヤしています。海外へ出る日本人選手も増えてきたので、選手のクォリティに関わらず、「みんな(武士道を)持っていたら良いのにな」と思っています。

最後になりますが、サッカー選手として一人の人間として目標やメッセージがあればお願いします。

そうですね。選手としてはやっぱりこの国(マラウイ)でプレーしているので、この国でリーグ優勝。もう一つカップ戦もあるので、三冠を取れるのを目標にしています。いつかはオセアニアにも行ったりして、全大陸のサッカーが見てみたいなというのもあります。人としては、今後いろいろなビジネスをしたりしていく上でも、人とのつながりを大事にできる人間になりたいなと思います。色々な国に行ったことで色々な国に友達ができましたし、人のつながりを一生大事にできるような人間になりたいと思っています。

プロフィール

中村元樹
1987年2月7日生まれ
173cm 71kg

2011年 : FKトモリ・べラト(アルバニア)
2011年 : ビリシュティ・スポルチ(アルバニア)
2012年-2013年 : モハメダンSC(インド)
2014年 : Manila-All Japan F.C.(フィリピン)
2014年 : ランサンイントラFC(ラオス)
2016年 : ビィ・フォワード・ワンダラーズFC(マラウイ)

関連サイト

中村元樹選手公式ホームページ
中村元樹選手オフィシャルブログ「中村元記」
Twitter
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サッカースクール「Global Football Academy」

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