2大会ぶりのU-17W杯へ導いた森山佳郎監督のキャリアまとめ
「気持ちには引力がある」など心が燃えるような名言を発するU-16日本代表の森山佳郎監督の選手、コーチ、監督キャリアをまとめました。
大学時代は中山雅史、井原正巳とプレー
熊本県出身で小学生時代からサッカーを始めるも一時、サッカーが嫌いになってしまい、中学校入学を機にバスケットボール部へ入部。中学2年生で再びサッカーへ戻り、熊本県立第二高校、一浪を経て筑波大学へ。サッカーの強豪大学への進学を熱望していましたが、なんと同大学の願書出願の期日を間違えてしまうという失態をしてしまっての入学でした。そこで後に日本代表の中心となる中山雅史(解説者/JFLアスルクラロ沼津)、井原正巳(J1アビスパ福岡監督)とチームメイトになります。4年生でトップチームに昇格するまで、ほとんどをCチーム(3軍)で過ごしていました。
マツダから広島へ、日本代表にも選出
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大学の大先輩、今西和男(元サンフレッチェ広島GM/現吉備国際大学教授)の誘いを受けて1991年にマツダ入社。マツダSCでJSL最後のシーズンに2試合出場し、翌92年からサンフレッチェ広島となり、94年にステージ優勝に貢献しました。日本代表にも選出され、国際Aマッチ7試合に出場。96年に横浜フリューゲルス、98年にジュビロ磐田へ移籍し、99年湘南ベルマーレで引退しています。闘志溢れるプレーと陽気なキャラクターでサポーターから愛され、リーグ戦166試合に出場し、5得点を挙げました。
指導者として数多くのJリーガーを育てる
by 珈琲と煙草と蹴球と
引退後、イングランドへコーチ留学を考えていましたが当時のユース監督がアビスパ福岡の監督に就任となり、白羽の矢が立ち、2002年に広島のユース監督就任します。約10年のユース監督時代に03年、04年にはクラブユース選手権、Jユースカップのユース3冠を2年連続で果たし、高円宮杯も3連覇など主要なユース大会で8度の優勝を手にしました。さらに槙野智章、柏木陽介、森脇良太(浦和レッズ)、森重真人(FC東京)らを育てています。13年にユース監督を退任し、広島強化部の育成コーチ兼ナショナルトレセン中国地区担当コーチとなり、15年にU-15日本代表監督に就任することとなります。
選手には監督と呼ばせず、「ゴリさん」と呼ばせるなど選手との距離感を大事にしながら、「サッカー選手の前に立派な社会人であれ」という指導で今後も育成年代で活躍しそうです。ちなみに娘の森山あすかさんはお笑い芸人として少しずつ露出され始めています。