カンテ放出よりも痛い!?岡崎やヴァーディーを発掘したレスターの名スカウト部長スティーブ・ウォルシュが”移籍”
ヴァーディー(写真右)やカンテ、マフレズ、岡崎の獲得に尽力したウォルシュ氏(同左)。by GiveMeSport
「我々の中盤中央部を支えるダニー・ドリンクウォーターとエンゴロ・カンテのセントラルMFコンビが称えられるが、それは違う。我々の中盤は真ん中にドリンクウォーターがいて、その左右に2人のカンテがいる。我々は12人で戦っているんだよ!」
昨季のイングランド・プレミアリーグを制したレスター・シティ。インターセプト数(ボール奪取数)とタックル数でリーグ最多スタッツを記録したカンテ選手は、警告も僅か2枚。ビッグ・サプライズを遂げたチームで優勝の大きな原動力となりました。そして、シーズン終了後に開催されたEURO2016フランス大会でも開催国・フランス代表としてプレーして準優勝に貢献しました。
そのカンテ選手を称える上記の言葉の主は、レスターの第2監督兼・補強責任者であるスティーブ・ウォルシュ氏。カンテ選手だけでなく、プレミアリーグ優勝に大きく貢献したイングランド代表FWジェイミー・ヴァーディー選手や、アルジェリア代表MFリヤド・マフレズ選手のようなシーズンMVPを受賞した選手たちや、我らが日本代表FW岡崎慎司選手の獲得にも尽力した重要人物です。
カンテ選手はこの夏の移籍市場でチェルシーに40億円規模で引き抜かれてしまいましたが、ヴァーディー選手はアーセナルを始めとする多くのビッグクラブからのオファーを拒否して残留。本稿執筆時点ではマフレズ選手もレスターに残留しています。
しかし、彼等を引き抜いたウォルシュ氏がシーズン終了後に契約延長にサインしながら、このたび同じプレミアリーグのエヴァートンへ”移籍”してしまいました。違約金として1億5000万円ほどがレスターに支払われるとはいえ、実は今年の1月と2月にも、レスターのチーフ級のスカウトや強化スタッフがトッテナム・ホットスパーとアーセナルという北ロンドンに本拠を置く2つのプレミアリーグのクラブに引き抜かれていました。
これは間もなく開幕するプレミアリーグを王者として迎えるレスターにとっては、カンテ選手の放出より痛いかもしれません。
体育教師として指導者を志し、チェルシーでスカウトとして16年間勤務
ウォルシュ氏に発掘されたMFカンテ。僅か1年でレスターを去り、ウォルシュ氏とラニエリ監督の古巣チェルシーへ。縁を感じる移籍劇となった。by Foot bro
現在61歳のウォルシュ氏はイングランドのランカシャー州にあるクローリー・タウン出身。アイルランド系の両親のもとに生まれ事もあり、兄弟にはアイルランド代表で21キャップを持つFWミッキー・ウォルシュ氏も持ちます。
20代に体育教師として勤めながらサッカーの指導者を志してライセンスを取得したウォルシュ氏ですが、大成を収めたのは1990年から16年間を過ごしたチェルシーでのスカウト時代でした。
当時のプレミアリーグには外国籍選手がリーグ全体で合計20人ほどしかいなかった時代。イタリア代表ではロベルト・バッジョ選手の影で地味な印象だったFWジャンフランコ・ゾラ選手や、ノルウェーという未開拓の土地からFWトーレ・アンドレ・フロー選手の獲得を進言。168cmのゾラ選手は得意とするぺナルティエリア左側のゾーンを『マジック・ボックス』と呼ばれるレジェンドとなったのはもちろん、193cmのフロー選手も加入初年度に15得点を記録。チェルシーで2トップを組み、『凸凹コンビ』と呼ばれたこの2人のFWの活躍を筆頭に、ウォルシュ氏はスカウトとしての株を大きく上げました。
その後、2004年にジョゼ・モウリーニョ監督がチェルシーの監督に初めて就任すると、フランス担当のスカウトとしてコートジボワール代表FWディディエ・ドログバ選手、ガーナ代表MFマイケル・エッシェン選手のチェルシー加入に尽力。
レスターにフランスでプレーしていたマフレズ選手やカンテ選手を加入させれたのは、スカウトとしての腕はもちろん、この頃にフランスで人脈と選手獲得のルートを構築出来たからではないでしょうか?
ピアソンとの二人三脚はレスター以外では大失敗~実は2度目だったレスターのスカウト部長就任
ウォルシュ氏と二人三脚のような信頼関係を築いたピアソン前レスター監督(右)は今季から2部のダービー・カウンティで指揮を執る。by The Telegraph
ただ、16年勤務したチェルシーでのウォルシュ氏の役職は、1人のスカウトの域に過ぎませんでした。補強の意志決定の責任者ではなく、優秀な選手をスカウトし、交渉の席を用意する仕事まで。ただし、能力の高い選手だけを闇雲に獲得する傾向が強いプレミアリーグにあって、「チームに合う選手」を連れて来るウォルシュ氏の実績は、高く評価されていたのです。
2006年、そんなウォルシュ氏をスカウト部長として招いたのはニューカッスル・ユナイテッドでした。ここでウォルシュ氏にとっては運命的な出会いがありました。当時、ニューカッスルで第2監督を務めていたナイジェル・ピアソン氏です。
2008年に当時の3部リーグに在籍していたレスターの監督に就任したピアソン氏は、ウォルシュ氏をスカウト部長として引き連れ、初年度に3部リーグで優勝。2年目にも2部・5位でプレミアリーグ昇格プレーオフに進出。この功績を買われた2人はプレミアリーグから降格したハル・シティに引き抜かれましたが、大失敗。そもそもニューカッスルでも降格を経験している2人は、レスター以外では成功しているとはいえない監督と強化担当でした。
背水の陣で迎えた2011年11月、ピアソン氏とウォルシュ氏は1度は離れたレスターに約1年半ぶりに復帰。ただ、役職として、ウォルシュ氏にはスカウト部長としてだけでなく、「第2監督」を兼任する形での就任に至りました。
聞く耳を持ち合わせる眼力~客観性を持ちながらも、直感で勝負
ラニエリ監督(写真左)とはチェルシー時代にも4年間を過ごした信頼関係がある。by football.co.uk
日々のチーム練習にも顔を出しながらも、チームに合った選手を獲得して編成を組む激務をこなす事になったウォルシュ氏。
ただし、現場を任される事になり、今までも何となく気にしていた「優秀な選手」と「チームに合う選手」の違いに改めて気付いたウォルシュ氏は、下部リーグに埋もれた才能を発掘する事に考えをシフト。就任早々にGKカスパー・シュマイケル選手を獲得すると、2012年に現在のチームで主将を務めるジャマイカ代表の主将DFウェズ・モーガン選手、MFドリンクウォーター選手、FWヴァーディー選手を獲得。現在のチームの骨格となる選手を一気に揃えました。
土台を完成させたレスターでは、そこから土台となる選手のパートナーに実績を持つ選手を組み合わせて行きます。2014年1月にフランス2部からMFマフレズ選手、2014年夏にはMFマーク・オルブライトン選手、2015年1月にDFロベルト・フート選手、2015年夏にはFW岡崎選手とMFカンテ選手を獲得。彼等はチームを2014年のプレミア昇格、2014-2015シーズン終盤の9戦7勝の大脱出、2015-2016シーズンの奇跡のリーグ優勝に導きました。
ピアソン監督が昨季開幕前に急遽解任となっても、チェルシー時代に4年間を過ごしたクラウディオ・ラニエリ現監督を招聘して動揺なくスムーズにシーズンに入れたのも、ウォルシュ氏が現場を任されているからでしょう。
データ解析ソフトが選手獲得のための大きなツールに変化した現在のサッカー界にとって、チェルシー時代はスカウトとしての自分の目や直感に頼ったウォルシュ氏は、時代遅れな印象があるかもしれません。
しかし、サッカー界に流通するイタリア産のデータ解析ソフト『Wyscout』を使いこなす部下の分析担当の言葉にも耳を傾け、下部リーグで図抜けた数値を記録する無名のタレントの存在を知った上で、自ら足を通わせる昔ながらのスカウトとしての直感も交えながら彼等を獲得していったのです。
データや数字という客観的な部分も取り入れながら、最後は自身のスカウトとしての眼力や直感で勝負する。成功も失敗も繰り返した経験の成せる業と言えるでしょう。
『バーゲン・ハンター』なだけではない?「ミラクル・レスター」の立役者
エヴァートンのフットボール・ディレクターに就任。右は新監督のロナルト・クーマン氏。by Mirror Online
そして、優秀な選手を安く買って発掘する能力を称えられ、「バーゲン・ハンター」の異名をとるウォルシュ氏ですが、「最高額」も記録する移籍を成立させています。
昨季リーグ2位の24得点を挙げたFWヴァーディー選手は、2012年に5部リーグのフリートウッド・タウンから引き抜いた選手ですが、その移籍金は約1億8000万円。イングランドでは4部リーグまでをプロリーグとしてカテゴライズしていますが、アマチュアリーグからの移籍金の最高額を記録したのです。
同様にレスター加入前まではフランス1部での経験が1年しかなく、2年前までは3部でプレーしていたカンテ選手に10億円規模の移籍金を支払うなど、払うべき時にはケチケチせずに大金も使う覚悟を持ち合わせています。
ウォルシュ氏は「移籍先」となるエヴァートンではフットボール・ディレクターの役職に就任しました。また、エヴァートンはミッキー・ウォルシュ氏の古巣にもなります。クラブは昨季終盤に売却され、ファルハド・モシリ新オーナーが誕生したエヴァートンはチーム強化のための予算が310億円?との噂も報道されるほど豊富となったため、ウォルシュ氏の手腕で移籍市場の主役になるかもしれません。
日本の強化担当者はクラブに雇用される職員として正社員契約するのが通例なため、このような引き抜き事例はあまりありませんが、今後はJリーグでもこのようなケースも出てくるかもしれません。
ひとまず、岡崎選手もリーグ優勝に貢献した「ミラクル・レスター」の立役者として、ウォルシュ氏の今後のご活躍を祈りたいと思います!
ちなみに、レスターには14年間プレーしたスティーブ・ウォルシュという主将まで担った同姓同名のDFがいましたが、全くの別人。ただ、2000年まで在籍したこのレジェンドもまた、2度のリーグカップ制覇に貢献。日本ではレスターはずっと弱小チームのように扱われてますが、1996年から2000年までは4シーズン連続でリーグのトップ10フィニッシュと4年間で3度のリーグカップ決勝進出などを成し遂げていました。決して万年弱小チームではありません。
スティーブ・ウォルシュという名前は、レスターに黄金期をもたらすようですね!