Jクラブに重宝される人気者!大宮FW播戸竜二が加入するチームは強くなる!

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2016年の明治安田生命J1リーグも第2ステージの第6節を終了。第1ステージと合わせて全34試合中の23試合というのはシーズンの3分の2を消化した事になります。

そんな中、昨季のJ2リーグを優勝して1年でJ1に復帰した大宮アルディージャは第1ステージを5位で終え、現在も年間順位で8位につける健闘を見せています。

大宮は2005年にJ1に初昇格後、実に10年間をJ1で過ごしたものの、その10年間で1度も一桁順位で終える事さえなく、最高順位はJ1・12位でした。

チーム成績とは裏腹に、NTT関連会社の出資によって設立されたNTTスポーツコミュニティ社が運営するクラブは潤沢な資金で大型補強も続けていたのですが、ここ2年ほどはそれをストップ。皮肉な事に大型補強をしなくなってから躍進が始まりました。

現在、Jリーグは夏の移籍期間となっておりますが、大宮は今季も駆け込みで外国籍FWを獲得するような事はもうないでしょう。

なぜなら、大宮には「加入したクラブを強くするFW」播戸竜二選手が控えているからです。

Jリーグ通算107得点の元日本代表FW~相棒のブラジル人FWが軒並み得点王に


by N.E.W.S 雑記帳

そんな播戸選手は1998年にガンバ大阪に加入。最初は月収10万円の練習生契約で、実家のある兵庫県姫路市から弁当持参で大阪まで電車通勤。そこからプロ契約を勝ち取って今季がプロ19年目、8月2日に37歳になる大ベテランFWです。171cmと小柄で、技術面でも十分とは言えません。しかし、相手DFとの駆け引きからの抜け出しや、クロスに対して恐れる事なくニアポストに突っ込んで行く姿は希少価値の高い生粋のストライカーです。

現在では溌剌としたムードメイカーぶりや人柄で語られる事が増えましたが、彼は日本サッカー史に残る1999年のワールドユース(現・U20W杯)ナイジェリア大会の準優勝メンバーです。ドイツやアルゼンチンでもプレーした元日本代表FW高原直泰選手(現・沖縄SV代表兼選手)との自称「黄金2トップ」、実際はスーパーサブとして世代別世界2位の座を掴みとったチームに貢献しました。

Jリーグでもプロ3年目に当時の岡田武史監督からのラブコールを受け、G大阪からレンタル移籍したコンサドーレ札幌でブレイク。2000年にJ2で15ゴールを挙げてチームの初めてのJ1昇格に貢献し、翌年のJ1でも9得点の大活躍。

札幌での活躍で名を上げた播戸選手は、2002年にヴィッセル神戸にレンタル移籍。2003年からは完全移籍に移行し、2004年に現在までのキャリアハイとなる17得点を記録。ただ、翌年に自身が怪我で長期離脱している間にチームはJ2降格となり、2006年から古巣のG大阪に完全移籍するという波紋を呼ぶ移籍を決断。

それでも播戸選手は7年ぶりに復帰した古巣で、いきなり16得点。後輩の元日本代表FW大黒将志選手(現・モンテディオ山形)が海外移籍した穴を埋める活躍を見せ、日本代表にもデビュー。(国際Aマッチ7試合2得点。)現在までJ1とJ2で合計107得点を挙げている実績十分なストライカーです。

また、播戸選手と2トップを組んだ札幌時代のエメルソン選手やウィル選手、G大阪時代のマグノ・アウべス選手といったブラジル人FW達が、リーグ戦で得点王となるプラス効果を持つFWでもあります。

C大阪、鳥栖・大宮を強くする


by 播戸竜二オフィシャルブログ

しかし、G大阪では毎年Jリーグの他クラブで実績を上げた有力なブラジル人FWが複数在籍していたため、2007年のナビスコカップ、2008年のAFCチャンピオンズリーグの優勝、2008年と2009年度の天皇杯連覇という主要4タイトルの獲得に貢献しながらも徐々に出場機会が減少。2009シーズン限りで2度の在籍期間で合計6年間プレーしたG大阪からの退団(実際はフロントからの戦力外通告)を決意しました。

ただ、そこで終わらないのが播戸選手。お隣りのセレッソ大阪への「禁断の移籍」後はスーパーサブ(途中出場)での活躍がメインになったものの、2011年にはJリーグ史上初の途中出場からのハットトリックを1シーズンで2度達成する快挙も記録し、5年ぶりのシーズン2桁得点(10得点)も記録。チームも2010年にJ1昇格即3位となり、翌年のACLラウンド16では敵地で古巣・G大阪を下してベスト8に進出するなどチームの黄金期を支えました。

2013年夏から1年半在籍したサガン鳥栖ではリーグ戦に僅か11試合出場のみで無得点に終わったものの、チームは2014年シーズンの前半戦をリーグ首位で折り返し、最終的には首位と勝点3差の5位へと大躍進。

2015年からはJ2に降格した大宮へ完全移籍。中盤戦ではレギュラーに定着し、今から約1年前の第24節・アビスパ福岡戦では前半だけでJ2最年長ハットトリック(35歳11カ月16日)を達成。運が悪い事にその試合で負傷し、以降は控えに回ってしまいましたが、チームのJ2優勝とJ1昇格、そして今年に入ってのJ1での躍進をピッチ外で支えているのは播戸選手でしょう。

特に現在チームの絶対的な柱であるMF/FW家長昭博選手は波の激しいキャリアを送ってきましたが、彼が活躍した年は常に播戸選手と共にプレーしたシーズンであることは偶然ではないでしょう。

レギュラーとしてプレーしていた時代は、「ピッチに立った時間帯でチーム(本人に限らない)に最も得点をもたらす選手」というデータも残っていましたが、今ではそれが「後発のJリーグのチームや地方クラブを強くする選手」になっています。

尊敬するキングからの刺激~自身も同じような存在に


by 播戸竜二オフィシャルブログ

そんな播戸選手がキャリアを積む中で最も影響を受けたのは、神戸で共にプレーしていた「キング」こと元日本代表FW三浦知良選手(現・横浜FC)。

カズ選手も播戸選手も共にスランプに陥ってサテライト(2軍)へ落とされた際、若手ばかりの練習で最初のランニングから先頭を走り、居残り練習も精力的にこなすカズ選手の姿を見て、「カズさんがあれだけやっていて、俺が腐ってられるわけがない」と奮い立った播戸選手。

復調したカズ選手と共にトップチームの2トップを組み、カズ選手からは「得点以外の事は俺がやるから、得点を決める事に集中しろ!」と指示を受けた播戸選手は、2014年にキャリアハイとなる17得点を挙げるに至りました。

現在、播戸選手本人は長らくレギュラーとしてプレーしてはいませんが、C大阪や鳥栖、大宮の選手達は、播戸選手がカズ選手から感じた似たような刺激を受け続けているはずです。

だからこそ、播戸選手が加入するクラブは強くなるのです。

選手会副会長や経営者としての顔を持つ社交性


by J’s Goak

イメージとしてお調子モノに見える播戸選手ですが、実は日本プロサッカー選手会の副会長を現在まで約5年半も務め続けています。サッカー界全体の問題に向き合い、選手の地位向上や競技力向上、社会貢献に従事する姿はアスリートとしての模範的存在です。

さらに自身のブログやサッカー選手を含むアスリート、ラジオのDJなどの方々のブログを運営しながらスポーツブランド品を輸入販売する『LIRIO NET』を立ち上げたり、オフシーズンには海外サッカーの解説業を務めたりなど、非常に多彩(多才)な人物でもあります。

また、G大阪時代の同僚である新井場徹(元選手)と稲本潤一選手(現・コンサドーレ札幌の元日本代表MF)と共同でサッカークラブ『FCイバンイーナ』を設立。現在、チームは『FCティアモ』へと改名し、順調に関西2部リーグにまで昇格しています。

「引退を先延ばしにするために」と冗談めかして発言していた播戸選手。現在は新井場氏のみが実質のオーナーとしてクラブをきりもみしていますが、将来的に播戸選手自身の加入はあるのでしょうか?

生粋のムードメイカーと思いきや、実はナイーヴ?


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最後に、小ネタを少し。

ムードメイカーぶりで知られる播戸選手ですが、意外とナイーヴな一面もあります。

スランプや試合出場から遠ざかると、頻繁に更新しているブログやインスタを全く更新しなくなります。

さらに2週間も経っていないに美容室に行き、1カ月に3度もカットするという挙動不審?のような行動も。

久しぶりにブログを更新したら、「美容室行って来ました」、だったら極度に落ち込んでいる証拠です。

しかし、チームが変わっても愛される播戸選手にはそんな時、これまで所属したクラブのサポーターの方々からも多くのメールが入ります。

「バンちゃん、大丈夫?怪我した?落ち込んでない?」

かつて所属したクラブのサポーターから個人ファンとしても根強く愛される播戸選手。

Jリーグのシーズン残り3分の1では、そんな播戸選手のゴールや笑顔を観たいと思います!

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