面倒臭いクラブ?オリンピックマルセイユ~日本代表右SB酒井宏樹が加入したフランス屈指の名門クラブの現状
4年前のロンドン五輪、日本はグループステージ初戦で直近のEURO2012を制したフル代表選手も含まれていたスペインを破るなど、ベスト4という望外な結果を出しました。
日本サッカーの飛躍の年となったロンドン五輪後に海外移籍をした選手も多くいました。このたび、ドイツのハノーファーとの契約満了を機に、フランスの名門クラブであるオリンピック・マルセイユに完全移籍で加入した日本代表DF酒井宏樹選手もその1人です。
柏レイソルで悲願のJリーグ初優勝&クラブW杯での大活躍
by Zou∞Blog
ただ、酒井宏樹選手は2011年に所属する柏レイソルがJ2リーグからの昇格初年度ながらJ1リーグで優勝を遂げるという偉業を成し遂げたインパクトの方が強い選手です。
独特のカーヴや回転をかけた長短自在にして多彩なクロスの数々で多くの得点をお膳立てした酒井宏樹選手は、同年のベストイレブンとベストヤングプレーヤー賞を同時受賞しました。
また、J1優勝で開催国枠としての参戦権を得たFIFAクラブW杯でもそのクロスの質や攻撃参加、右サイドバックとは思えない185cmという大柄な体格も含めて評価を上げた酒井宏樹選手の元へは、クラブW杯で直接対戦したブラジルの名門であるサントスも含めて、ボルシア・ドルトムントなどの海外からの獲得オファーが殺到しました。
ドイツでも3年間を主力としてプレーし、”攻めの移籍交渉”
by フットカルチョ
数多くあったオファーから出場機会を考慮した上での現実的な選択となったのがハノーファーでした。
初年度はロンドン五輪への参加でチームのキャンプにフル参加できず。期待されながらの加入ながら、出場機会が限られました。ただ、シーズン終盤からは定位置を掴み始め、2年目からは全34試合制のリーグ戦で26→27→26試合に出場。以降3年間は安定してレギュラーを務め、ドイツの地でも確かな実績を作りました。
ただし、契約最終年となった今季、チームの14年ぶりの2部降格が決まってしまうなど、酒井宏樹選手の活躍具合とチーム成績は比例しませんでした。
いまいち上がりきらないドイツでの評価。それでもハノーファーは1年での1部復帰のために契約延長のオファーは提示していましたが、そこは4年間ドイツでやって来た自信も含めて、”攻めの移籍交渉”。
ロンドン五輪の右サイドでコンビを組んだ日本代表MF清武弘嗣選手も同じく2012年から共にドイツで活躍してきましたが、彼もやはり4年間でドイツでのプレーに区切りをつけ、スペインの強豪であるセビージャへの移籍を決断しました。酒井宏樹選手も同様に環境を変える選択肢を積極的に選んだのでしょう。
マフィアの街の「特別なクラブ」OM~かつては八百長で強制降格
by Web Sportiva
ただ、清武選手がUEFAヨーロッパリーグ3連覇の躍進著しい旬なクラブに移籍したのとは一転、酒井宏樹選手が加入するマルセイユは昨季リーグで13位と低迷。アルゼンチン出身の世界屈指の戦術家=マルセロ・ビエルサ監督(上記写真)が開幕直後に急遽辞任した影響が大きかったとはいえ、名門とは言えない失態のシーズンでした。
そのビエルサ監督の辞任を招いた原因もクラブ側にあり、ビエルサ監督への給与やボーナス支払い問題だけでなく、1年間かけて育てた若手選手を監督の相談もなしに大量に放出していったのです。身売りの噂も頻繁に流れるなど、クラブの経営状態は火の車状態です。
そんな中、ビエルサ監督は若手選手を中心としたチームに独特な攻撃サッカーのメカニズムを浸透させ、フランスサッカー界に一石を投じるスタイルでリーグ4位に躍進。前半戦を折り返す頃まではパリ・サン・ジェルマンを抑えて首位を走っていたほどでした。
しかし、それが主力のMFジャネリ・インビュラ選手(ポルトを経て、現・ストーク)や、MFマリオ・レミナ選手(現ユヴェントス)、現在のフランス代表でも看板となったMFディミトリ・パイエ選手(現・ウエストハム)等が一気に放出された上、ビエルサ監督までもが辞任。低迷するのも仕方ありません。
すでに今季の主力だったベルギー代表FWミシー・バチュアイ選手やDFベンジャミン・メンディー選手がそれぞれチェルシーとモナコへの売却が決定しており、来季も深刻な低迷が続くかもしれません。
1899年に創設され、フランスでは「特別なクラブ」と言われるオリンピック・マルセイユ。過激なファンも多く、過去には大型補強で名を馳せた時代もあったものの、そんな状態とは皆無に陥っていました。
今季の終盤には身売り計画を正式に発表しながら、今現在も来季以降の経営権がどこにあるのかも不透明。あまりの経営危機に下部リーグへの強制降格の可能性も報じられているほどです。
強制降格と言えば、八百長や会長の脱税などが発覚して1992-1993年のリーグ優勝をはく奪され、2部への強制降格というぺナルティを2年間経験したクラブ。そもそもマルセイユという街自体が「マフィアの街」と呼ばれる黒い影を持つクラブです。
近年の黄金期はデシャン監督時代~派手さが目立つも、地味で結果重視のサッカー
by UEFA.com
そんなマルセイユが未だに「特別」である理由は、なんと言ってもUEFAチャンピオンズカップ(現・チャンピオンリーグ、1993年に優勝、1991年にも準優勝)を制したフランス唯一のクラブだから。フランスリーグでの優勝回数もサンテティエンヌの10回に続いて2番目に多い9回というフランス屈指の実績を誇る名門である事は確かなのです。
そして、その過去に所属した選手も、1991年にバロンドール(欧州最優秀選手)を受賞したフランス代表FWジャン・ピエール・パパン元選手を筆頭に、コートジボワール代表FWディディエ・ドログバ、ウルグアイ代表FWエンソ・フランチェスコリ、フランス代表DFロラン・ブラン、フランス代表GKファビアン・バルテズ、フランス代表MFフランク・リベリ、サミア・ナスリなどなど。
国際色の強いパリ・サン・ジェルマンとは違ってフランス国内を代表するクラブだけに、フランス人やフランスにルーツを持つアフリカ系選手が多いのですが、上記したスター選手の中でもナスリ選手以外は他クラブから引き抜いた選手ばかりでした。
ただし、スター選手を乱獲りするような派手な補強が目立つ一方、そのサッカーは地味な結果最優先主義が際立つスタイルと言えます。大型補強に頼りながらも、マルセイユは選手生活の高みの境地ではなく、イングランドやスペインのリーグへのステップアップ移籍を図るための踏み台になっていました。そのために選手の出入りの激しいクラブとなり、なかなかクラブにスタイルを定着させる事ができなかったのです。今では「パリ・サン・ジェルマンのサッカーとは?」明確なイメージが定着しましたが、彼等よりも70年も老舗のはずのマルセイユには未だにそれがないのが証拠です。
それは近年の黄金期を見れば明らかで、チームを率いていたのは現・フランス代表監督としてEUROでの開催国優勝に迫るティディエ・デシャン監督。現役時代もマルセイユで5シーズンに渡って活躍したレジェンドが2009年に古巣の指揮官に就任すると、初年度にクラブとしては18年ぶりの主要タイトルの獲得となるフランスリーグとリーグカップの2冠。その後もリーグカップでは3連覇を果たしました。
18年間無冠だったクラブを在任期間3年で4つの主要タイトル獲得に導いたのは、現在のフランス代表のサッカーに通じるハードワークの精神とチームの一体感。マルセイユはデシャン監督の就任前も2位→3位→2位とリーグ優勝に迫りながらもタイトルを獲り逃して来ましたが、より泥臭く勝つ事に拘った事で3年連続でのタイトル獲得という黄金期を築いたのです。
逆にフィリップ・トルシエ元日本代表監督は日本代表に浸透させた「フラット3」を採用し、日本代表MF中田浩二氏を獲得。当時16歳だったナスリ選手を大抜擢するなどして改革路線を歩み、就任直後から無敗街道を続けながらもシーズン終盤に失速し、1年をまたずに解任。また、1990年代の初頭に所属した旧ユーゴスラビア代表MFドラガン・ストイコビッチ氏も確かな実力を持ちながらも怪我の多さを不当に評価されるなど、日本サッカー界に大きく貢献した人物も苦戦して来たのが、このフランスの名門。
本拠地のヴェルドロームがEURO2016の開催に合わせて2014年に改築。公式収容可能人数が67,394人となり、フランスでは最も美しいスタジアムとなっているだけに、まずはクラブの経営を安定されて欲しいところ。
しかし、ここでパリ・サン・ジェルマン同様に中東や中国マネーで再建・黄金期が到来したとしても、サポーターは納得しないだろう事も見えているなど、本当に面倒くさい事が多いクラブです。
正直に言って、ハノーファーからマルセイユへの移籍はステップアップかどうかも表現しにくい状況ですが、フランスで大きな注目を浴びるクラブではあるのは確かなマルセイユ。この移籍をステップアップと捉えるには酒井宏樹選手自身にも相当な覚悟が必要とされそうです。