J1最多”頭”得点のFW前田遼一~器用貧乏からの得点王獲得に至るデスゴール伝説では語れない万能型FWの苦悩

01_前田遼一_FC東京
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2016年5月29日に開催された明治安田生命J1リーグ第1ステージ第14節、FC東京がホームの味の素スタジアムにガンバ大阪を迎えた試合で大きなタイ記録が生まれました。
この試合でホームのFC東京が1-0と勝利し、G大阪とのホーム戦で2002年以来の負けなしが継続されました。それも大きな記録です。
そして、それよりもこの日の決勝点を挙げた元日本代表FW前田遼一選手のゴールが偉大な記録に並びました。
この試合の80分、左からのフリーキックをヘディングで決めた前田選手。その得点がJ1でのヘディングによる通算44点目となり、それまでの最多記録だった元日本代表FW中山雅史氏(現・アスルクラロ沼津)に並んだのです。

今季のJリーグではサンフレッチェ広島の佐藤寿人選手と川崎フロンターレの大久保嘉人選手による通算最多得点記録の更新が大きな話題を集めましたが、前田選手の記録の方が”頭1つ”抜け出しています。

ジュビロ黄金期の洗礼、器用貧乏からの得点王獲得


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冗談はさておき、3年連続のJ1得点王を継続中で、J1通算得点記録でもレコードを更新し続ける165得点の大久保選手に続き、通算5位の149得点を挙げている前田選手。
しかし、彼がプロキャリアをスタートした頃は所属するジュビロ磐田の黄金期であったため、苦渋の日々を過ごしました。
それでも下部年代の日本代表で活躍し、ルーキーイヤーには「アジア年間最優秀ユース選手」を受賞する将来有望な選手でした。ただし、その頃は「点取り屋」というよりも、トップ下などを務める技巧派選手としてプレーしていました。
技巧派と表現したのは、技術力が高い事もありますが、適性ポジションが定まらない状態が続き、”器用貧乏”な状態が続いたからです。五輪代表ではボランチを経験するほどでした。
やがて、世代交代に着手し始めたジュビロでFWとして先発に定着した前田選手。それでもJリーグ得点王を獲得しているクラブの2大エースだった中山選手や高原直泰選手の事を考えれば、2005年に24歳にして初めて二桁得点を達成したようなFWでは、黄金時代を知るサポーターからは厳しい声も飛びました。
ただ、2009年と2010年に2年連続でJ1得点王を獲得。2010年にはチームとしても8年ぶりのタイトルとなるJリーグヤマザキナビスコカップ優勝に貢献し、面目躍如を果たしました。

日本代表では縁がない独特のキャリアには”デスゴール”伝説も


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しかし、2年連続の得点王を獲得して迎えた2010年のワールドカップイヤーでも登録メンバーから漏れるなど、日本代表とはあまり縁がありません。
2011年のアジアカップで3得点を挙げて優勝に大きく貢献するなど、アルベルト・ザッケロー二監督からは重用されました。しかし、2013年のFIFAコンフェデレーションズカップで3戦全敗に終わると、その責任を押し付けられかのように以降は全く招集されなくなり、結局1度もW杯には出場していません。
前田選手と言えば、シーズン初ゴールを挙げた相手チームがJ2へ降格するという「”デスゴール”伝説~前田の呪い」が6年連続で続きましたが、代表落選となった2013年にはその対象となった浦和レッズが降格せず。逆に、生え抜きとして所属するジュビロがJ2へ降格する悪循環に苛まれました。

翌年にJ1昇格を果たせなかった前田選手は、15年在籍したジュビロに別れを告げてFC東京への移籍を決意。加入当初は日本代表でも売り出し中だった武藤嘉紀選手(現・マインツ/ドイツ)の控えという苦しい立場でしたが、武藤選手が前半戦限りでドイツへ移籍すると、最終的には9得点を挙げてクラブ史上最多となる勝点63とクラブ史上最高位となる年間リーグ4位躍進に貢献しました。
得点記録だけでなく、元トップ下として高度なボールコントロールを活かした完璧なポストプレーで2列目の選手の得点をお膳立てできる、”日本的な万能型FW”である前田選手。
器用貧乏や日本代表での不遇、J2降格と頭を抱えて悩んだ前田選手には、是非ともその頭でJ1通算最多へディング得点の新記録を達成してもらいたいと思います。

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