フォルラン獲得の裏で退団した2人の功労者
様々な情報伝達が進んだ現代にあって、それはサッカーというスポーツに置いても影響は顕著です。世界中で最新の練習メニューや育成メソッドが取り入れられるのはその一例でしょうし、欧州クラブの下部組織をアジア圏に設立できるのもそうでしょう。
ピッチ内でも守備戦術を筆頭に世界中で戦力の差を埋めるための術が浸透し、現代サッカーはより拮抗した試合が増えました。
そんな緊迫した試合の均衡を破るのは、選手個人の特殊能力です。だからこそ、バルセロナのアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ選手やレアル・マドリーのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド選手、スウェーデン代表のズラタン・イブラヒモビッチ選手等は重宝されているのです。
そんな”個人技”はピッチ上ではもちろん、フロントでも存在します。いえ、ピッチ上よりもピッチ外にこそ、”個人技”が必要なのかもしれません。その成功と失敗、双方の代表例となってしまうのが、J2・セレッソ大阪です。
2014年シーズン、C大阪は2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会の得点王と最優秀選手をダブル受賞したウルグアイ代表FWディエゴ・フォルラン選手を獲得。2度のスペインリーグ得点王と欧州最多得点賞も獲得するなど、その華々しい実績と年棒5億円以上と言われる金額にも注目が集まりました。
しかし、その華々しい舞台の裏ではチームの功労者2人が静かにチームを退団しました。
香川・清武・柿谷など数多くの日本代表選手を育て上げたクルピ監督
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1人はC大阪で3度(1997年,2007年~2011,2012年8月~2013年)、合わせて7年も指揮を執っているという事実からして、クラブの歴史に置いても最も重要性が感じられるレヴィー・クルピ監督です。
御存知の通り、香川真司選手(ドルトムント/ドイツ)、乾貴士選手(エイバル/スペイン)、清武弘嗣選手(ハノーファー/ドイツ)、南野拓実選手(ザルツブルク/オーストリア)といった多くの若手選手を日本代表に仕立て上げ、欧州のクラブでも活躍する選手に育て上げた監督です。
他にもクルピ監督の指導を受けた選手では、現在もチームに在籍する柿谷曜一朗選手や杉本健勇選手、扇原貴宏選手、ハノーファーに移籍した山口蛍選手などが日本代表へ招集されました。
あまりの人数の多さに、「2012年のロンドン五輪代表や、アルベルト・ザッケローニ監督時代の日本代表の”裏の指揮官”はクルピだ」という都市伝説が生まれる程でした。
クルピ監督の下、チームはタイトルこそ獲れませんでしたが、2010年にはJ2から昇格1年目で3位。2013年にも4位へと躍進し、2度のAFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得。ACLでもベスト8へ進出し、アジアでも実力を証明できるクラブになっていました。それまでJ2にも2度も降格していたチームとは思えません。
それも2010年に香川選手、2011年には乾選手、2012年には清武選手と韓国代表MFキム・ボギョン選手と、毎年シーズン途中にチームの軸となっている選手が欧州移籍でチームを離れる中で、Jリーグでもトップクラスの結果を残して来た事が特筆すべき成果です。
「育成型クラブ」で「世界レベル」を体感できるチームを作った梶野強化部長
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そして、そんなチームを編成して来たのが梶野智強化部長。現役時代はC大阪で主将としてプレーした選手でした。2007年5月、チームがJ2降格後も不安定な成績に終始する時期にチーム強化の責任者となった梶野氏は、現役時代に指導を受けたクルピ監督を10年ぶりに復帰させる事を決意しました。
チームには香川選手や柿谷選手など将来有望な若手選手が多かったため、「育成型クラブ」へ転換を計りました。そして、その若手選手達に、「Jリーグで結果を出すだけでなく、世界レベルを体感させる」ためにクルピ監督を招聘し、普段の練習から世界レベルを意識させたのです。
クラブの財政事情は決して裕福とは言えず、せっかく育てた有力選手も独り立ちした頃には欧州クラブに引き抜かれましたが、常にその穴埋めの補強に抜かりはありませんでした。香川選手の退団を見越して清武選手を獲得したり、清武選手の退団を見越して柿谷選手をレンタル先から復帰させたりといったチーム編成も一例です。
また、梶野氏は強化部長就任前にはチームのブラジル人選手の世話役をしていた事もあったため、ポルトガル語を完璧に使いこなせます。そして、現役時代にC大阪でチームメートとしてプレーした元ブラジル代表GKジルマール氏(上記写真)がブラジルで代理人として大活躍していたこともあり、その元同僚と密にコンタクトをとり続け、有力なブラジル人選手を他のJクラブの約半額で何人も獲得する事が出来ました。
その他にも、欧州クラブからの引き抜きに対する適性な違約金(移籍金)の設定を、他のJクラブより先んじて取り入れ、その資金を基に魅力溢れるチーム編成の指揮を執っていました。
サポーターにとっては、毎年チームの主力選手が変わるのは寂しいですが、それに代わる有力な若手や外国籍選手を格安で獲得し、世界へ通じる選手に育って羽搏いていく姿は、タイトル獲得とは違った満足感もあったはずです。実際、現在でもC大阪出身の日本代表選手や欧州でも活躍する選手が多く、クルピ監督ー梶野強化部長の”最強タッグ”は未だにクラブを越えて日本サッカー界に良い影響を残しているのです。
どちらかが残っていれば・・・
そんな功労者2人がフォルラン選手の獲得の裏で退団しました。チームはその年にいきなりJ2降格。前年度4位からの急降下でしたが、期待のフォルラン選手は完全にピークを過ぎた状態で大ブレーキ。シーズン中に2度の監督交代、柿谷選手の海外移籍もあって、チームは最後まで迷走し続けていましたので、当然の帰結かもしれません。そして、現在はJ2でも順当には勝てない日々を過ごしています。
梶野強化部長が去ったチームは、フォルラン選手に続いてドイツ代表歴のあるベテランFWカカウ選手を獲得。翌年からは大熊清現監督(当時は強化部長)がベテラン選手ばかりを獲得しています。「タイトルを獲れていない」から、”脱クルピ体制”を決断したと報道されていますが、完全に失敗に終わりました。
また、当時の岡野雅夫社長が「フォルラン獲得は情報漏えいのために、クラブのスタッフにも内密にした」と豪語していたものの、梶野強化部長の耳にも一切入れなかった事は越権行為にも感じ取れます。
それまで1日単位で契約書を作成して、強化費を切り詰めて来た梶野強化部長の仕事ぶりで、「育成型クラブと健全経営を両立する”Jリーグの模範クラブ”」だったC大阪が、フォルラン選手とカカウ選手の2人だけで年棒8億円以上を払うなど、ベテラン選手ばかりの金満クラブのイメージになってしまいました。それが成績面以上に残念でなりません。
C大阪は、「フロントにも個人技が必要である」事を、成功と失敗の両面で証明してしまったのです。
あの時、クルピ監督か梶野強化部長のどちらか1人でもチームに残っていれば、J2降格もなかったことでしょう。