Mr.ガンバがライバルのセレッソに!松波正信のキャリアまとめ
“ミスター・ガンバ”こと松波正信氏がセレッソ大阪U18のコーチに就任する事が発表されました。同じ大阪のクラブへの”移籍”です。
ガンバ大阪一筋のキャリア
by SOCCER KING
Jリーグ創設元年となる1993年に帝京高校から入団して以来、13年間の現役生活をガンバ大阪一筋で過ごした”ミスター・ガンバ”松波正信氏。現役最終年となった2005年には悲願のクラブ史上初タイトルとなるJ1リーグの優勝も経験しています。
現役引退直後からもガンバ大阪の下部組織であるジュニユースやユースの指導者を務め、2010年からトップチームのコーチに昇格。
そして、2012年でした。前年まで10年間の長期政権を築いた西野朗監督との別れを決断したガンバ大阪は、新たなジョゼ・カルロス・セホーン監督と呂比須ワグナーHCの”2頭体制”で大失敗。結局、彼等は公式戦5戦全敗でシーズン開幕から1カ月も経たない間に解任されました。
その時、この火中の栗を拾ったのが、松波氏でした。
踏み出した波乱万丈の指導者キャリア
しかし、急なトップチームの監督就任となったミスター・ガンバはチームをJ1残留に導く事ができず。クラブ史上初のJ2降格の責任をとって監督を退任しました。
ただ、J2降格が決定した後の天皇杯では当時の日本代表DF今野泰幸選手をボランチとして起用し、見事に決勝進出。タイトル獲得こそならなかったものの、リーグ戦での宿敵・浦和レッズとのアウェイ戦で0-5の大勝を演じた采配も含めて戦術家ぶりも感じさせていました。
翌年は”ガンバサダー”という名誉職に就いていました松波氏が2014年、この年から創設されたJ3リーグへと参戦するガイナーレ鳥取の監督に就任。現役時代から21年一筋に過ごしたガンバ大阪を退団する決断をしたのです。
鳥取は前年のJ2で降格となりましたが、それを機に現役引退した”野人”岡野雅行氏がGMに就任し、ふるさと寄付金の制度を利用したユニークな強化費の捻出で話題を集めました。
しかし、J3では十分な戦力が整ったと言える陣容ながら、肝心の成績を残せず。至上命題だったJ2への1年での復帰を果たせませんでした。
当然、強化費に無理なシワ寄せを伴った2014年の結果、翌年は経営危機となって戦力も整わず。結局、2014年はJ3で4位、2015年は同6位で終え、志半ばでの退任となったのでした。
“指導者・松波”としての本当のスタート
by GAMBA OSAKA
そんな松波氏が、このたびセレッソ大阪U18のコーチに就任するわけですが、コレは客観的に見れば良かったのではないか?との見方もあります。
なぜなら、ガンバ大阪はミスター・ガンバの席を事前に用意するかのように次々とポストを空けて昇格させて来ました。
そのような状況は、”ミスター・ガンバ”として見られているだけで、”指導者・松波”としての評価は本人も感じられなかったと思います。
だから、このセレッソ大阪U18コーチ就任は松波氏にとっての本格的な指導者生活のスタートとなるはず。
2005年のリーグ優勝時、現役引退後にしたい事は?と問われた松波氏は、「古代文明や化石の発掘」と述べていました。
セレッソ大阪の下部組織で優秀な選手となる”原石の発掘”や育成に携わる指導者・松波としての新たなサッカー人生を見守りたいと思います。