現代に生き続けるドイツサッカー創始者の想い

ヨコハマ・フットボール映画祭(2月11日から2/14まで開催)でサッカー映画が開催されました。ドイツサッカーの父であるコンラート・コッホ氏をテーマにした「コッホ先生と僕らの革命」というサッカー映画があります。 今回は日本人選手が多く活躍するドイツのサッカー事情と同映画を紹介させて頂きます。この映画から、サッカー強豪国であるドイツから学べることがあるかもしれません。

「コッホ先生と僕らの革命」とは?

「コッホ先生と僕らの革命」は、ドイツサッカーの父コンラート・コッホ氏を題材にしている映画です。彼は1874年にドイツ初の英語教師として、ブラウンシュヴァイク所在のギムナジウム(ドイツ独特の進学校)「カタリネウム校」へ赴任しました。そこで、英国留学から帰国したコッホ氏は子供達に英語とサッカーを教えます。その後、様々な困難をコッホ氏と子供達が打開していきます。


by コッホ先生と僕らの革命

同映画は史実に合わせて作られており、サッカー映画の中でも非常に面白い作品となっています。ちなみに、当時のドイツのスポーツ事情は器械体操とボクシングが主流であり、身体美や無骨なスポーツが好まれていました。つまり、エンターテイメント性のあるスポーツが主流ではありませんでした(勿論、ボクシングの試合や器械体操の演目はエンターテイメント性がありましたが、これらの競技の概念はエンターテイメント目的ではありませんでした)。その中でサッカーをドイツ国内で普及させることは難しく、バイエルン州(1926年完全解禁)のように第一次世界大戦までサッカーが禁止とされていた地域もありました。

日本と非常に似た状況

ドイツ国内でサッカーが普及したのは第二次世界大戦後であり、大戦前までは地域毎のセミプロリーグ優勝チームをトーナメントで戦わせて国内王者を決める方式が主流だったため、プロリーグが長い間ドイツには存在しませんでした。1963年に全国規模のプロリーグ「ブンデスリーガ」を創設し、ドイツ国内のサッカー人気が高まります。リーグ開設後はバイエルン・ミュンヘンをはじめ、ボルシア・メンヒェングラートバッハやハンブルガーSVが国際大会で活躍し、その結果代表強化にも繋がりました。


by Bundesliga

日本ではドイツ人指導者デットマール・クラマーが近代的なサッカー指導行い、実業団クラブが国内王者を争う日本サッカーリーグ創設に貢献。日本はJリーグを創設する際に、日本と状況が酷似していたブンデスリーガをモデルとしてリーグ作りを行いました。結果、Jリーグ発足後は1998年ワールドカップフランス大会への出場を決めて大きな躍進を遂げます。

現在ドイツでは、サッカーにビデオ判定導入を検討したりと革新的な取り組みを行っています。日本のサッカー事情はドイツと似ているため、今後リーグの発展にブンデスリーガをお手本にすることが良いかもしれません。

現代も生き続けるコッホ氏の想い

現在のドイツは世界屈指のサッカー大国であり、サッカーが生活の一部となっている地域もあります。そんな中、ドイツサッカー生誕の地のプロクラブであるアイントラハト・ブラウンシュヴァイク(以下アイントラハト)は、コッホ氏の想いを引き継ぐ事業を行いました。2011年にブラウンシュヴァイク市が約250万ユーロの投資で景気刺激策を行う計画を発案。そこで、アイントラハトやBSCアコスタと協同して新しいスタジアム建設に着手する運びになりました。同時期に上記した映画のヒットもあり、ブラウンシュヴァイク及びドイツサッカーに多大な貢献を果たしたコンラート・コッホ氏の名を冠する「コンラート・コッホシュタディオン」を開設。同スタジアムは、最新鋭の設備が整っており(人工芝、プログラミング可能なスプリンクラー、最新鋭のサウンドシステム、最新鋭の照明、排水システム、ヒーター完備)、現在アマチュアクラブのBSCアコスタがメインに利用されています。そして、市民解放されているスタジアムであるため、ブラウンシュヴァイク市民にとって新たな憩いの場となりました。


by EUROPLAN


by EUROPLAN


by EUROPLAN

コッホ氏がドイツへ帰国してから、二つの大戦が終わるまでドイツ国内のサッカーは不遇の立場でした。しかし、現在は誰もが知るサッカー大国へと成長しました。ブラウンシュヴァイクへ行けば、ドイツサッカーが世界的な大勢を果たしたヒントが分かるかもしれませんね。

コッホ先生と僕らの革命:公式ページ

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