浦和レッズを支える生え抜き選手!宇賀神友弥選手の経歴まとめ

Jリーグ各クラブには、小学生の時から選手を育成する仕組みがあります。クラブにとっては、育成年代の選手がそのままトップチームに昇格してJリーグで活躍する事が望ましい筈です。日本代表にも言える事ですが、育成年代の選手がそのまま成長して、全ての年代にわたってレギュラーを獲得し、トップチームに昇格するのは至難の業です。ましてや移籍をせずに同じチームに所属して活躍し、引退できる選手と言ったら本当に一握りの選手に限られてしまいます。

浦和レッズの左SB(又は左SF)の宇賀神友弥選手(以後、宇賀神選手と記載)は、数年間だけ浦和レッズを離れていましたが、ほぼ生え抜き選手と言って好い程に浦和レッズで成長してレギュラーを獲得している選手。代表経験が無いので、全国的には知られていない選手ですが、とても魅力的なサッカー選手です。


by SoccerHacker J

地元埼玉県の浦和レッズ・ジュニア・ユースに入団

宇賀神選手は1988年生まれ。東京に接する埼玉県戸田市の出身。小学生の時からサッカーを始めて、中学に入学すると地元埼玉県のJリーグ・チームである浦和レッズのジュニア・ユースに入り本格的なサッカーの道に進みます。

同期のJリーガーとしては、現アビスパ福岡の堤俊輔選手、現栃木SCの西澤代志也選手、現ジェフユナイテッド市原・千葉の小池純輝選手らがいます。3人共に一度は浦和レッズのトップ・チームに昇格を果たしますが、現在は別のチームで活躍しています。

宇賀神選手は、中学・高校と浦和レッズ・ジュニア・ユースからユースに所属しトップ・チームを目指しますが、転機が訪れます。それはトップ・チームに昇格できないという衝撃的な転機でした。
育成年代からJリーグのクラブで育った選手の夢は、当然ながらトップ・チームに昇格する事にありますから、ショックだった事は想像するに難くありません。Jリーガーになるという夢を絶たれた宇賀神選手は、大学に活路を求めます。


by JAMBALAYA

流通経済大学に進学

浦和レッズのトップ・チームに昇格できなかった宇賀神選手は、流通経済大学に進学してサッカーを続ける決断をします。
流通経済大学は茨城県龍ヶ崎市に所在する1965年に設立された大学で、開学の年にサッカー部も同時に創立されました。当初は茨城県大学サッカーリーグに加盟していましたが、1999年に関東大学リーグ2部に昇格。2003年に関東大学リーグ2部で初優勝し1部に昇格。宇賀神選手が入部した2006年には1部リーグで初優勝をするなど、歴史の浅い大学ながら、日本サッカー界において急発展し、現在では日本有数のサッカーの強豪大学になっています。

組織運営もとてもユニークです。サッカー部が3部構成の組織になっていて、トップ・チームの下に、セカンド・チームとサード・チームがそれぞれ存在しています。それぞれのチームには個別に名称があり、それぞれにカテゴリーの違うサッカー・リーグに所属しています。
セカンド・チームの名称は”流通経済大学ドラゴンズ龍ヶ崎”で日本フットボール・リーグ(JFL)に所属しています。サード・チームの名称は、”流通経済大学FC”で関東サッカー・リーグ1部(地域リーグ)に所属しています。

日本の大学サッカー界で急速に実力を上げた流通経済大学のサッカー部に宇賀神選手は入部しますが、Jリーグ・ユース・チーム出身者と言えども、いきなりトップ・チーム登録された訳ではなく、サード・チーム、セカンド・チームを経て、トップ・チームに昇格します。


by アンダーカバー大作戦

古巣から特別指定選手に選ばれる

浦和レッズ・ユース時代にトップ・チームに昇格できなかったと言う人生の大転機を経験した宇賀神選手でしたが、流通経済大学においても予期せぬ転機が訪れます。それは何と古巣の浦和レッズが大学生である宇賀神選手を特別指定選手として浦和レッズのトップ・チームに指定したのです。

特別指定選手というのは、所属リーグの垣根を越えて、ユース世代の若いサッカー選手に、高いレベルでサッカーができる環境と機会を与える制度です。多くの場合は、高校生や大学生の選手を、Jリーグのトップ・チームが選手登録する場合を言います。

流通大学サッカー部に所属していた宇賀神選手は、元々自らが所属しトップ・チームに昇格できなかった浦和レッズから戻って来る機会を与えられたのです。
普通に考えればとても幸運なオファーでしたが、どうも御本人は当初乗り気ではなかった様です。何故かというと、ユースから昇格できなかった悔しさがアンチの心を芽生えさせていた事と、昇格できなかったトラウマが消極的な精神に陥らせていたふしがあるからです。

大学時代には、「(浦和レッズ以外の)違うチームで埼スタに乗り込んで、レッズを倒したい」というコメントが残されていますし、浦和レッズに戻ってもユース時代の同僚から「成長していないと思われるのが嫌だ」と言う理由で、浦和レッズに練習に行くのを嫌がっていたそうです。

ところが練習参加した時に、当時のフォルカー・フィンケ監督に見初められて、特別指定選手として加入する事になったのですから、本当に人生は面白いものです。
大学4年生として流通経済大学に所属しながら浦和レッズのトップ・チームの一員に加わりました。そして卒業後の2010年、晴れて浦和レッズに入団。一度は昇格を果たせずユースから大学に進学した宇賀神選手は、ジュニア・ユース時代から慣れ親しんだ浦和レッズに戻って来たのです。
浦和レッズにとって、ジュニア・ユース、ユースを経て、一旦大学に進学した選手をトップ・チームに呼び戻す最初の選手になりました。


by URAWA REDS

左右どちらも蹴れる正確なキック力

2010年、浦和レッズに戻った宇賀神選手は、公式戦32試合に出場し3得点を決めました。その後2年間は故障や不調でベンチ・スタートが続きますが、2013年以降は浦和レッズの左SBとしての地位を確立して現在に至ります。

宇賀神選手の最大の特徴は、左右どちらの脚でも差異無くボールを蹴ることができる能力にあります。基本左SBで起用されますが、右SBもこなす能力があります。又、ドリブル突破の能力も高く、左サイドを駆け上がって、ドリブルで切り込んでのシュートやクロスからの得点は、浦和レッズの大きな武器となっています。

プレイ側面以外では、ゲーム中も自然な笑顔をピッチ上で見せてくれる爽やかさや、ゲーム以外のメディアに登場した時等で見せてくれるお茶目さなど、見た目通りの人柄の良さも人気が高い理由です。


by ゲキサカ

幻の日本代表

宇賀神選手は一度だけ日本代表メンバーに名を連ねたことがあります。それは昨年10月8日の事。Wカップ・アジア2次予選のシリア戦のメンバー発表の時でした。これまで日本代表に一度も選出された事はなかったので、とうとうその時が訪れたと思われたのもつかの間、協会側のミスで記載された事が判明し、幻の日本代表選出に終わってしまう事故だったのです。

結局宇賀神選手は今まで一度も日本代表メンバーに選出された事がありません。しかし、ここ数年毎年Jリーグの優勝争いをする浦和レッズの左SBの定位置を担うというのは並大抵の実力では成し得ません。是非とも現日本代表の左SB長友祐都選手を脅かす存在として活躍し、晴れて日本代表左SBとしての宇賀神選手の姿を観てみたいと筆者は願っています。


by SOCCER KING

この様に、浦和レッズの左SBで定位置を掴んでいる宇賀神選手は、大学4年間を除いてジュニア・ユース時代から浦和レッズで活躍する古参の選手なんです。左サイドを駆け上がる笑顔が魅力の宇賀神選手からの浦和レッズの攻撃に注目です!

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