44歳で契約更新! 東京V、永井秀樹のキャリアまとめ
東京ヴェルディ1969の永井秀樹選手が2016年シーズンの契約を更新。“キングカズ”に次いでJリーグ2番目の最年長選手の記録更新に期待がかかる永井選手のプロ24年間のキャリアを振り返ります。
中学、高校で日本一の実績
大分県出身の永井秀樹選手は高校サッカーの名門、長崎県立国見高校へ進学。実は明野中学校(大分県)時代に全国中学校サッカー大会で優勝。そして国見高校でも全国高校サッカー選手権優勝と輝かしい実績をもっています。そして国士舘大学へ進学し、1992年バルセロナ五輪出場を目指した日本代表で名波浩監督(ジュビロ磐田)らとアジア予選を戦うも五輪出場を果たせず。そして大学を中退し、92年にヴェルディ川崎(現東京V)へ入団します。
スター軍団でJリーグ最強だったV川崎
V川崎入団後の92年に開催されたヤマザキナビスコカップで3試合に出場し、初代王者に貢献。当時のV川崎には三浦和良選手(横浜FC/J2)、ラモス瑠偉監督(FC岐阜/J2)、柱谷哲二監督(ガイナーレ鳥取/J3)ら日本代表の中心選手が数多く所属し、強さとスター性を兼ね備えた日本を代表するクラブでした。日本代表組が遠征などで抜けた穴を埋める活躍をしていました。
そして93、94年のJリーグ王者2連覇、ナビスコカップ3連覇に貢献し、95年には出場機会を求めて当時JFL所属だった福岡ブルックス(現アビスパ福岡)へ期限付き移籍をしました。
さすらいのJリーガー
by Laughy
常に出場機会を求めた永井選手は数々のチームを渡り歩いています。96年に清水エスパルスへ期限付き移籍し、清水の初優勝で自身4度目となるナビスコカップを獲得。97年にV川崎へ戻り、98年に横浜フリューゲルスへ移籍。この年に横浜Fは横浜マリノスと合併することになり、負ければ消滅となる最後の天皇杯で優勝に貢献。99年から2年間は横浜F・マリノスに所属し、2000年にファーストステージ優勝、01年に東京Vへ復帰。04年には大分トリニータ、そして05年に当時、九州リーグだったFC琉球でプレーしました。06年から2年間は東京Vに所属し、08年から13年までJFLだったFC琉球に復帰し、14年から東京Vに戻ってきました。
プロ25年目となる2016年シーズン
ここまで現役生活を続けられたのも国見高校時代の過酷なトレーニングのおかげと話す永井選手。2016年シーズンでは45歳2ヶ月1日とJリーグ最年長出場2位の記録を持つ中山雅史選手(アスルクラロ沼津/JFL)の記録更新がかかります。2016年J2は2月28日開幕。3月で中山選手と並び、4月で記録更新のかかる永井選手に注目です。
SOURCE : Wikipedia | Sponichi Annex | TOKYO VERDY 1969