村井満という名前を聞いてピンと来る人はサッカー通と言えるでしょう。一方、それ誰?と思う方の方が多いのではないでしょうか。
プロサッカーリーグであるJリーグの最高責任者であるチェアマンなんです。経歴も異色なら、改革姿勢も独特で活力があります。現チェアマンはどんな方なんでしょうか?
by ウェブ電通報
歴代のJリーグチェアマン
1993年にJリーグが創設された時のJリーグチェアマンは川渕三郎さん。この方がいたから日本にプロサッカーリーグでできたと言っても過言ではないサッカー界の重鎮です。
川渕さん以降現在の村井チェアマンに至るまでに、チェアマンは4回変わっています。現村井チェアマンが第五代目チェアマンです。
初代の川渕さんから二代目チェアマンを継いだのが鈴木昌さん。鹿島アントラーズの社長をされていました。第三代目が鬼武健二さん。セレッソ大阪の社長をされていました。第四代目が大東和美さん。学生時代はラグビー選手でこちらも鹿島アントラーズの社長をされていました。
そして、現在の村井満さん(以降村井チェアマンと記載)。リクルートの執行役員、関連会社の社長をされていました。つまり、村井チェアマンだけが、サッカーとは全く無縁の世界から日本のプロサッカーリーグのトップに就任されたのです。異色の経歴と言うことができます。
この事実が、次々と改革実行できる背景にあるとも言えます。埼玉県出身ということもあり、実は浦和レッズのサポーターでもあります。
by 四国新聞社
村井チェアマンの生い立ち
村井チェアマンは埼玉県川越市の出身。中学校時代はバスケットボール部に所属。県下トップの進学校である埼玉県立浦和高校に入学するとサッカー部に入部。ポジションはゴールキーパーだったそうです。
かつては県立浦和高校も国体優勝二回、高校サッカー選手権優勝三回を誇る名門高校でしたが、サッカー王国の埼玉県でトップレベルを維持するのはとても大変なことで、村井チェアマンが在籍中の最高成績は、控えGKだった1年生の時の埼玉県予選4位でした。それでもサッカー王国の埼玉県でベスト4というのはかなりの実力なんです。
高校卒業すると早稲田大学に進学されますが、サッカー部には入部されていません。大学卒業後は日本リクルートセンター(現リクルート)に入社されます。2000年に人事担当の執行役員に就任し、2004年には本社執行役員と兼任でリクルートエイブリック(現リクルートエージェント)の代表取締役社長にも就任。2011年には香港法人の社長に就任されます。
この間2008年にはJリーグ理事に就任され(会社と兼務)、リクルートの役員を2012年秋に退任されて、2014年に晴れて第五代チェアマンに就任されます。
by 日経ビジネスOnline
独自の改革姿勢
2014年にチェアマンに就任すると、村井チェアマンは直後に行われたキックオフカンファレンスにおいて「三つの約束」を実行委員会でお願いしたと発表されました。それは、1)笛が鳴るまで全力でプレイする、2)リスタートを早くする、3)時間稼ぎの選手交代を止める、という三つの決意でした。
言われてみると当たり前に聞こえるとてもシンプルな約束でした。しかし、言われてみると、確かにピッチの中で行われている見苦しい行為であるとも言えます。サッカーとは無縁な世界でビジネスマンとして生きて来られた、サッカー王国出身の村井チェアマンにとっては、普通の当たり前のことが当たり前に行われていない点を変えたかったのだと思えます。
こういう普通の視点と、サッカー王国で育ち自らも学生サッカー選手だった村井チェアマンの真骨頂であると言えます。
今期のJリーグは従来の1ステージ制からチャンピオンシップをかけて戦う2ステージ制に制度変更されました。最も年間勝ち点の多いチームが年間優勝チームとなるわかり易い1ステージ制から、最も年間勝ち点が多いチームでも年間優勝チームになるとは限らない2ステージ制には疑問の声も多数上がっています。
しかし、地域に根ざしたスポーツクラブを標榜するJリーグが存続をして行く為の苦渋の選択でもあったわけです。
実際に、チャンピオンシップの開催によりJリーグの試合が11年ぶりに地上波のゴールデンタイムに放映され、新たなサッカーファンへのアピールとなりました。
日本のプロサッカーリーグであるJリーグと言えども、まだまだ多くのチームやリーグそのものの基盤は脆弱で、試行錯誤は続くでしょう。我々サッカーファンがJリーグを盛り立てて行く必要があることは言うまでもありませんが、村井チェアマンの個性的で普通の目線の改革がこれからも求められています。