また1人桜の若武者が海外挑戦!山口蛍のキャリア振り返り
有望な若手選手を輩出しているセレッソ大阪からまた1人、桜の若武者がドイツへ渡ります。セレッソ大阪のキャプテン山口蛍選手のハノーファー96への移籍が決まりました。その山口選手のキャリアをまとめてみました。
移籍先のハノーファー96サポーターの反応は賛否両論
セレッソ大阪のキャプテンで中盤の要の山口蛍選手のハノーファー96移籍にはC大阪サポーターだけでなく、現地でも賛否両論あるみたいです。
「日本の2部でプレーしている選手」ということでレベルを疑問視する声があれば、「彼が2部でプレーしているほうが不思議だ」という好反応な声も出ています。新監督にもなりますので山口選手にはチームを立て直し、サポーターを納得させる起爆剤になってほしいところです。
セレッソ大阪育成組織「ハナサカクラブ」1期生出身
三重県名張市で誕生した山口選手。蛍という名前には「どんな暗闇でも明るい光を放ち続けられますように」という願いが込められているそうです。
小学校3年生でお父さんの影響でサッカーを始め、親子鷹でC大阪U-15の入団を勝ち取りました。実は山口選手はC大阪が2007年に設立した「ハナサカクラブ」という個人協賛会で選手を育成する組織改革が行われた1期生でもあります。この「ハナサカクラブ」からは扇原貴宏、杉元健勇(現川崎フロンターレ)らがトップチームへと昇格しています。
そしてC大阪U-18ではキャプテンを務め、JFAプリンスリーグU-18関西で優勝。09年にトップチームへ昇格。Jリーグデビュー戦は当時、J2所属の同年10月18日の愛媛FC戦。Jリーグ初得点はJ1所属の11年8月28日の浦和レッズ戦でした。そして山口選手の飛躍に欠かせないのがU-23日本代表での活動になります。
飛躍のきっかけはロンドン五輪代表
by JFA
プロ2年間は出場機会には恵まれず、飛躍のきっかけはU-21日本代表での2010年の広州アジア大会でした。全試合に出場し、アジア大会初優勝に大きく貢献したことで当時の関塚隆監督(現ジェフ千葉監督)の信頼を得ることができました。そして12年ロンドン五輪のアジア予選、本大会では中心選手としてメキシコ五輪以来となる44年ぶりのベスト4進出に貢献。
翌年13年の東アジアカップ韓国大会で日本代表に初選出されると初戦の中国代表戦で代表デビューを飾り、日本の東アジアカップ初優勝にも貢献、大会MVPを受賞しました。さらにアルベルト・ザッケローニ監督に認められた山口選手は14年ブラジルW杯に出場も果たす成長を見せていきました。
元チームメイトの清武弘嗣、日本代表の同僚、酒井宏樹と共に日本人トリオでハノーファー96上昇への起爆剤になることを期待し、山口選手の今後の成長が楽しみです。
SOURCE : Wikipedia | Cerezo Osaka | Web Sportiva