AC長野パルセイロの監督に就任!三浦文丈のキャリア
また1人、名選手が監督としてJリーグのピッチに帰ってくる。AC長野パルセイロの新監督に三浦文丈氏が就任。
かつて横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、FC東京でプレーした三浦新監督のキャリアを紹介します。
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エリートコースを歩んできたフミさん 〜プロフィール〜
三浦 文丈(みうら ふみたけ)監督
1970年8月12日生まれ
静岡県出身
現役時代の歴代所属クラブ:清水商業高校(現・静岡市立清水桜が丘高校)→筑波大学→横浜マリノス(現横浜F・マリノス)→京都パープルサンガ(現京都サンガ)→ジュビロ磐田→FC東京(2006年シーズン現役引退)
指導歴:FC東京トップチームコーチ→FC東京U-15むさしコーチ→横浜F・マリノストップチームコーチ→アルビレックス新潟コーチ→アビスパ福岡コーチ
ニックネーム:フミさん
“日本のサッカー王国”静岡県の名門、清水FCで小学生日本一、中学時代も全国大会で準優勝。清水商業高校でも選手権優勝、筑波大学でも主将を務め、関東大学サッカーリーグと総理大臣杯の優勝と輝かしい戦歴を持つ三浦監督です。
Jリーグ初年度から横浜F・マリノスで活躍
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筑波大学時代の92年バルセロナ五輪アジア予選で五輪出場を果たせなかった三浦監督は93年横浜マリノス(当時)へ入団。日本中が熱狂したJリーグ誕生の年に新人ながら第3節(5月22日)名古屋グランパスエイト戦でデビューすると24試合に出場。2年目もリーグ戦38試合に出場と中心選手として活躍。95年の横浜M、1stステージ初優勝に貢献し、その年のチャンピオンシップも制して横浜MのJリーグ王者を経験しました。
移籍で繋いだ優勝請負人
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ジュニアユース代表、ユース代表、五輪代表と各カテゴリーの代表経験を持つ三浦監督ですが日本代表には、あまり縁がなく95年に行われたダイナスティカップで選出されただけでした。しかし日本代表には縁が無くともプロ14年と長いキャリアを過ごせたのも必要とされて数々のクラブへ移籍してきたからこそです。
99年にかつて横浜MをJリーグ王者へ導いた清水秀彦氏の要請で京都パープルサンガへ移籍。99年途中でジュビロ磐田へ移籍。磐田のJ1年間優勝に貢献。2001年にFC東京へ移ると04年ナビスコカップ優勝とチームの優勝に貢献する選手でした。
若手育成に定評がある指導者
2006年シーズンをもってFC東京で現役を引退。翌07年に同クラブトップチームのコーチに就任して指導者へ。08年に同クラブのU-15むさしコーチとなり、09年には若手選手の育成手腕を請われて古巣の横浜F・マリノスのトップチームコーチに就任。10年から同クラブジュニアユースのコーチとなり、13年アルビレックス新潟、14年からアビスパ福岡で横浜M時代の仲間である鈴木健仁(強化部長)、井原正巳監督の元でコーチとして福岡のJ1復帰を支えました。
輝かしい選手キャリアと指導歴をもつ三浦監督がAC長野パルセイロをどう成長させるか注目です。
SOURCE : Wikipedia | AC Nagano Parceiro