祝!J1通算500試合出場。横浜Fマリノスのボンバーヘッド中澤佑二のキャリア

J1 2ndステージ第14節でJリーグにまた新たな偉業達成者が生まれました。
偉業を達成したのは横浜F・マリノス所属の中澤佑二選手。Jリーグ史上3名しか達成をしていなかったJ1通算500試合出場を果たした中澤選手に軌跡を振り返ってみましょう。

『雑草』と呼ばれた男


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中澤選手のキャリアを振り返るうえで外すことのできないキーワードが『雑草』です。それは中学生や高校生で年代別の日本代表に選ばれ、プロ選手となるサッカーエリートと呼ばれるような選手たちとは全く違った環境からプロ選手としてのキャリアをスタートさせたことにあります。

無名のサッカー少年からブラジル留学を経て

埼玉県立三郷工業高等学校というサッカーの名門高校ではない高校のサッカー部に所属をしていた中澤選手は、高校サッカー選手権に出場することもなく、スカウトの目にも止まっていない無名のサッカー少年でした。

その状況でもプロを目指していた中澤選手はJリーグへ自身を売り込むためのキャリアとして、高校卒業後に単身でブラジルへサッカー留学をします。

ブラジルで1年を過ごして帰国をしてからJリーグクラブへ売り込みをしますが、どのチームからも誘われることがなく三郷工業高等学校で後輩に混じって練習を続けていました。
そして1998年、19歳の時に母校とヴェルディ川崎(当時)のユースチームとの練習試合で得点を決めるなどアピールし、練習生としてやっとの思いでヴェルディ川崎に入団することができます。

しかし、入団から1年間は練習生のためクラブから給料は支払われず、練習場への交通費なども自腹で払いながら練習に参加するというかなり厳しい時間を過ごすのです。


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ついにプロ契約、そして日本トップレベルへ

不遇の1年を経て、1999年についにプロ契約を勝ち取った中澤選手。500試合出場の第一歩となるデビュー戦は1999年3月13日のセレッソ大阪戦でした。

デビュー戦を経てレギュラーを獲得した中澤選手はこの年のJリーグ新人王を獲得、さらにJリーグベストイレブンにも選出をされるなどブレイクを果たすとその勢いを持って2000年に行われたシドニーオリンピックのU-23日本代表にも選出、一気に日本トップクラスのDFとして成長をしていきます。


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日本サッカーのレジェンドへ

2002年に横浜F・マリノスへ移籍してからはJリーグ2連覇や3ステージ連続優勝、JリーグMVPの獲得など活躍を見せ、日本代表でも2度のワールドカップ出場などで代表110キャップを記録するなどまさに日本サッカー史上最高のDFともいえる存在となった中澤選手。

今回の500試合出場という偉業達成でもはやレジェンドと言ってもいい立場に思えますが、まだまだ成長をしていきたいという思いが強い中澤選手。
それを表すように2014年に自身初となるリーグ戦全試合フル出場というこちらもJ1史上最年長での大きな記録を達成しており、2015シーズンもこのフル出場記録を続けているのです!


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明るい人柄や謙虚な姿勢などから他チームのサポーターからも好かれる中澤選手。
衰え知らずなフィジカルでまだまだJリーグを盛り上げていって欲しいですね!

プロフィール

中澤 佑二(なかざわ ゆうじ)選手
1979年2月25日生まれ
埼玉県出身
横浜F・マリノス所属
DF
187cm/78kg

 

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