2世Jリーガーの先駆け!サガン鳥栖・水沼宏太ってどんな選手?

2世Jリーガーの話題は以前も取り上げています(実はこんなにいる?親も子もサッカー選手!2世Jリーガーまとめ1)が、その中でもJ1チームの中心として活躍しているのがサガン鳥栖の水沼宏太選手です。
テレビでもおなじみの水沼貴史さんを父に持つ水沼選手についてまとめました。

水沼宏太


by SAGAN TOSU

背番号 8
ポジション MF
生年月日 1990年2月22日
身長/体重 176cm/70kg

2008年 横浜F・マリノス入団
(2010年7月−2011年 栃木SCへ期限付き移籍)
(2012年 鳥栖へ期限付き移籍)
2013年 鳥栖へ完全移籍

鳥栖への移籍で活躍

横浜FMユース出身で、Jリーグデビューはユース在籍中の2007年。
プロ入りした横浜FMでは出場機会が少なく、栃木へ期限付き移籍をしレギュラーの座を掴みます。
さらに存在感を示すようになったのは鳥栖へ移籍してからでした。

鳥栖が初めてJ1に昇格した2012年に加入し、3月の横浜FM戦で水沼選手はJ1での自身初ゴールを決めました。
水沼選手にとって古巣相手のゴール!
この得点で鳥栖はJ1での初勝利を飾ったのです。
チームの中心選手となった水沼選手は、翌年に鳥栖へ完全移籍しました。


by ゲキサカ

プレッシャーを乗り越えて

幼い頃から家でクッションボールを蹴り、父親の試合を見ていたという水沼選手。
小学2年生の終わりに少年サッカーのチームへ入団して本格的にサッカーを始めます。

年代別代表の経験も豊富ですが、いつも「水沼貴史の息子だから」というプレッシャーを感じていたと言います。
見返してやろうという気持ちでやってきたからプロになれたと語っています。

水沼貴史


by COPA magazine

生年月日 1960年5月28日

1983年−1992年 日産自動車サッカー部
1993年−1995年 横浜マリノス

日産の黄金時代、日本代表

金田喜稔さん、木村和司さんと共に日産の黄金時代の一員だった水沼貴史さん。
FW、MFとしてプレーし、日本代表では国際Aマッチ32試合に出場、7得点を記録しています。

1995年に引退し、その後は母校の法政大学サッカー部コーチや、テレビでの解説などで活躍しています。
横浜FMのコーチを務めたこともあり、その間には数ヶ月ながら監督も経験しています。

父親を越えたい

親子でJリーガーになり、ポジションも同じ。
テクニックに優れた貴史さんに対して、水沼選手は豊富な運動量が持ち味。
水沼選手は父親を越えたい、親子ともにすごい選手と言われるようになりたいと話しています。
貴史さんと同じ日本代表でのプレーも見てみたいですね!

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