地元で松田直樹の意志を継ぐ。松本山雅の背番号3・田中隼磨
2015年よりJ1に加盟した長野県松本市の松本山雅FCは元日本代表でもあった故・松田直樹選手がプレーしたことでも一躍有名になりましたが、
その松本山雅FCで現在、松田選手のトレードマークだった背番号「3」を受け継ぎプレーする田中隼磨選手について今回はご紹介したいと思います。
by 朝日新聞
プロフィール
by SOCCER KING
田中 隼磨 (たなか はゆま)選手
生年月日 1982年7月31日
出身地 長野県松本市
身長/体重 174cm/64kg
ポジション MF/DF
経歴 横浜F・マリノス→東京ヴェルディ1969→横浜F・マリノス→名古屋グランパス→松本山雅FC
長野県松本市出身の田中選手は中学卒業後、横浜フリューゲルスユース(フリューゲルス消滅後は横浜F・マリノス)に加入しクラブユース選手権優勝に貢献しました。
トップチーム昇格後は機会に恵まれず、2002-2003年にレンタル移籍で加入した東京ヴェルディ1969でボランチから右サイドにコンバートし、才能を開花させました。
2004年に横浜F・マリノス復帰後は右サイドの座を勝ち取り、レギュラーとして当時横浜に在籍していた故・松田選手と共に活躍し、2006年には日本代表に選出されました。
その後2009年に名古屋グランパスに完全移籍。移籍後は右サイドバックのレギュラーの座に君臨して活躍したのち、2014年に生まれ故郷のチームでもある松本山雅FCに移籍しました。
故・松田選手の意思を受け継ぎ背番号「3」を背負いチームのJ1昇格に貢献し、J2で最も活躍した選手に贈られるJ2 Most Exciting Playerを受賞し、現在に至ります。
松田選手を慕う心
田中選手が故・松田選手を慕う心は生半可なものではありません。
2014年にJ1への昇格が決定した試合直後、ユニフォームを脱ぎ名古屋時代から毎試合着用している「ありがとう松田直樹3」 と書かれたアンダーシャツでピッチ上で号泣したこと、試合前のロッカールームで松田選手の写真を見て会話しているなどのエピソードはその熱い心を感じさせます。
by サッカー名言集
日本サッカー界屈指のスタミナ
田中選手の武器はスタミナです。
アテネオリンピック代表候補時代の持久力テストにおいて、当時日本代表選手でトップのスタミナを誇っていた加地亮選手を上回り、サッカー日本代表の全世代を通じての最高記録を更新しました。
その驚異的なスタミナによる豊富な運動量でピッチを駆け回り、攻守ともに活躍する右サイドバックを務めています。
不思議なブログが話題に!?
田中選手の公式ブログはファンの間で話題を呼んでいます。
誤字・脱字や突然の改行、試合後のブログで「今日は2-2のスコアレスドローに終わった」という誤った表現が用いられたエピソードなど、不思議な文体がファンの話題を呼びました。
お茶目な一面も窺えます。
J1残留をかけて
現在J1順位で低迷している松本山雅FCですが、故・松田選手の意志を受け継ぐ田中選手にはチームを牽引し、J1残留を果たしてほしいですね。
今後の活躍に注目です!