現役時代は中盤のダイナモ…協会理事も務める解説者・北澤豪
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現役時代はアツい闘志と豊富な運動量を持つ‘中盤のダイナモ’と言われ、引退後はサッカー解説者やキャスターとして活躍。一方で、日本サッカー協会の理事も務める北澤豪さんをご紹介します。
北澤豪〜プロフィール〜
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北澤豪(きたざわ つよし)
1968年8月10日生まれ
東京都出身
現役時歴代所属チーム:読売ジュニアユース→修徳高校→本田技研工業サッカー部→読売クラブ/ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ) ※2002年選手引退
ファッションリーダーという一面も…
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1994年にはベストジーニストにも選ばれたことのある北澤さん。そのハイセンスなファッションは、出演するスポーツ番組やイベントなどで注目されることも!
また、北澤さんのトレードマークとも言える肩まで伸びる長髪は、読売クラブ(当時)に移籍した後に頭髪を伸ばし始めたとのこと。本田技研に所属していた当時は、同社に勤務する社員でもあったため、短髪で出社をしていたようです。
昨年開催された、「北澤豪写真展」での一コマ。
きっちりとした中に親しみやすいカジュアルな雰囲気も与えるチェック柄のジャケットスタイル。シューズと同系色でコーデしているPOINTはさすがファッションリーダー!
ブルーのパンツは、サムライブルーを意識したカラーでしょうか!?
Jリーグ初期、ヴェルディの黄金期
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現役時代は、気迫あふれる闘志と衰えることを知らない運動量で、Jリーグの初期時代を湧かせた北澤豪さん。所属していたヴェルディ川崎(当時)のJリーグ初代王者に大きく貢献し、その後続く、チームの黄金時代を三浦知良選手らと共に支えた選手でもあります。
出場できなかった、ドーハとW杯
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日本代表としては、1991年にロシアリーグに所属するスパルタク・モスクワとの親善試合で代表デビュー。その後、定期的に1994アメリカW杯を出場を目指す日本代表に招集されるようになります。
1993年、アメリカW杯アジア最終予選のイラク戦。勝利をすればW杯への出場権を得られる一戦で、日本代表は2-1でリードしたまま後半のアディショナルタイムに突入。誰もが勝利を確信した試合終了間際に同点に追いつかれ、惜しくもW杯出場を逃してしまいます。
北澤さんは、いわゆる‘ドーハの悲劇’を経験した日本代表メンバーのひとり。しかし、この試合で北澤さんは出場機会を得ることはできずにいました。
うだるようなカタール・ドーハの暑さの中、「試合時間が20分を切った頃、誰もが疲れ切っていた。中でも、中盤はきつかった。スペースが埋まらない。だから、『北澤を入れてくれ』と思っていた。ピッチにいる僕らは(運動量のある)北澤が欲しかった」
後にこのように語るのは、当時、日本代表のキャプテンとしてピッチに立っていた柱谷哲二さん(現・水戸ホーリーホック監督)です。
その後、ドーハでの悔しさを持った日本代表は、1998フランスW杯への出場権を得ますが、北澤さんは直前にメンバーから落選。W杯という大舞台を目指すもあと一歩で出場の逃した思いは、現在、面白さだけではなく、厳しさも伝えられるサッカー解説者としての活躍に繋がっているように思います。
解説者として、サッカーを伝える側へ
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現在は、多くのメディアやイベントなどに出演してサッカーの魅力を伝える北澤さん。その活動は幅広く、自身が主催するサッカー教室や、日本サッカー協会の理事も務めています。
ここ最近、日本代表の成績不振も影響してか、少し元気のないのようにも思える日本のサッカー界。このような時こそ、サッカー解説者の魅力を伝える手腕が試されます!
SOURCE : Web Sportiva | supportista