遡ること8月2日、FC東京の石川直宏選手が引退を表明した。
— FC東京【公式】🔜12/2G大阪戦 (@fctokyoofficial) 2017年8月2日
FC東京ファンのみならず、多くのサッカーファンから支持されていた同選手の引退表明に対し、SNS上では引退を惜しむ声が数多く寄せられた。
最近は怪我の影響によりその雄姿を見ることは減ってしまったが、Jリーグでの活躍は誰もが知るところ。
思えばJリーグで活躍し日本代表でも主力として期待されたものの、怪我などにより残念ながら代表に定着できなかった選手は多くいる。
その中でも、W杯とは無縁も国内トップクラスの実力を示した日本人Jリーガーたちをピックアップしよう。
右サイドを蹂躙したスピードスター
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名前:石川直宏
身長:175cm
体重:70kg
ポジション:サイドハーフ、ウィング
個人タイトル:Jリーグベストイレブン(2009年)
A代表キャップ数:6
一人目は冒頭で紹介した石川直宏選手。
2000年にマリノスユースからトップチームへ昇格しプロデビュー。2002年に当時FC東京を指揮していた原博実監督の誘いを受け同クラブへと移籍すると即レギュラーに定着、クラブに欠かせない戦力となった。
翌年にはU−22とA代表両方に選出、同年東アジア選手権にてA代表デビューを果たした。
キャリアのピークは28歳となった2009シーズン。持ち前のスピードと攻撃的なプレーで躍動すると、リーグ戦で24試合15ゴールを記録。まさに無双状態でチームを5位に導く圧巻の活躍を見せた。
しかし同シーズンの10月に左膝を負傷、その後も怪我との戦いを強いられると、2015年にも同箇所の靭帯を断裂。さらに怪我との長い戦いを強いられた。
2009年当時の代表監督、岡田氏からも翌年のW杯の切り札として期待されたスピードスター。右サイドを疾走するその姿は観るものを魅了したが、怪我の影響もありA代表の出場数は6試合にとどまった。
右サイドの選手が定着していない現日本代表、今あの当時の石川選手がいたらどんなに心強かったことか・・・。
歴代最強のドリブラー
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名前:前園真聖
身長:170cm
体重:68kg
ポジション:オフェンシブハーフ
個人タイトル:Jリーグベストイレブン(1996年)
A代表キャップ数:19
名門、鹿児島実業高校を卒業後横浜フリューゲルスへ入団。1994年、3年目のシーズンにレギュラーへ定着すると得意のドリブルで多くの観客を魅了した。
同年U−21とA代表両方へ選出。アトランタオリンピックを目指す日本代表ではキャプテンとして起用されると、アジア最終予選の準決勝サウジアラビア戦では2ゴールの大活躍でチームを見事に五輪へと導いた。
1996年のアトランタオリンピック本戦でもキャプテンとしてチームを牽引、グループ予選は惜しくも突破出来なかったがブラジル撃破(マイアミの奇跡)など彼の評価は落ちることはなかった。
人気・実力ともにトップクラスとなったその年、スペインのセビージャが獲得に動き本人も憧れのスペイン移籍を決意。
しかしクラブ間交渉は破談に終わる。クラブへの不信感とともにヴェルディ川崎へと移籍すると、夢が破れた前園はスランプに陥ってしまう。
その後ブラジルや韓国のクラブへと移籍するも当時の輝きは戻ることなく、2005年に31歳にして引退。移籍騒動が引き金となり、日本屈指のドリブラーもまたW杯でその姿を見ることは出来なかった。
ブレ球を駆使するユーティリティプレイヤー
三浦淳宏#最初に好きになったサッカー選手 pic.twitter.com/0jJSCOEw7Z
— K/F®️#13 (@PRIDEofKOBE_13) 2016年5月23日
名前:三浦淳宏
身長:175cm
体重:73kg
ポジション:、オフェンシブハーフ、サイドハーフ、サイドバック
個人タイトル:ナビスコカップ ニューヒーロー賞(1997年)
A代表キャップ数:25
国見高で背番号10を背負い優勝も果たした攻撃的MF。
フリューゲルスに入団した2年目、ポジションをサイドに移し前述の前園とともに中盤を支えチームに貢献。チームがマリノスに合併されるまで4年間、主力として活躍を見せた。
マリノスへ移籍した1999年にA代表デビューを果たすと、2000年のシドニーオリンピックではオーバーエイジ枠として選出。左右のウィングバックとして出場し日本の決勝トーナメント進出にも貢献した。
2001年に東京ヴェルディへ移籍すると、主に左サイドバックとしてプレー。トルシエの後任となったジーコ監督のもとでも日本代表に選出されるが、同じ左サイドバックには三都主アレサンドロがおり、スタメンへ定着することはできなかった。
2005年にはヴィッセル神戸へと移籍。チームキャプテンとして活躍が期待されたが負傷や監督交代などの影響もありチームはこのシーズン最下位となり降格が決定。
当時三浦は現役の日本代表だったが神戸残留を宣言する。1年でチームをJ1復帰させることに成功しキャプテンとしての務めを果たしたが、その後日本代表へ召集されることはなく、代名詞とも言えるブレ球FKを世界に見せしめることはできなかった。
規格外という言葉が最も似合うストライカー
元日本代表の久保竜彦氏 トルシエ氏を嫌っていたと告白 https://t.co/0IFufL0ce3 pic.twitter.com/rielFa8FIi
— スポーツ大好き (@sports_daisuki1) 2017年2月24日
名前:久保竜彦
身長:181cm
体重:73kg
ポジション:センターフォワード
個人タイトル:Jリーグベストイレブン/日本年間最優秀選手賞(2003年)
日本代表キャップ数:32
最後は不世出、そして天真爛漫のストライカー、通称ドラゴン久保。
高校卒業後、1995年に広島へ入団。2年目から出場機会を得ると、トップ下のポジションながらダイナミックなプレーでゴールを強襲。当時から明らかに他の選手とは違うものを感じさせた。
1998シーズンにレギュラーとして起用されるとリーグ戦32試合12ゴールの活躍、トルシエジャパンにも召集され同年に代表デビューを飾る。
2002年の日韓W杯では惜しくも選出外となるも、翌年横浜Fマリノスへ移籍すると25試合16ゴールの活躍。
特に最終節のロスタイム、高い身体能力を発揮しヘディングゴールにより同クラブを完全優勝に導いたシーンも有名だ。
この年からジーコジャパンでは、アジア予選で日本を勝利に導くゴールを決める等主力として活躍。しかし久保は腰痛に悩まされ最終的に2006年のW杯にも落選、その雄姿をW杯で見ることはまたも叶わなかった。
彼の持つ実力を考えれば、もっともっと長く日本代表でプレーし、そして世界にその力を見せつけて欲しかった。
この4名をポジション別に並べてみるとこのように
今回はJリーグが始まった1993年以降、そしてA代表キャップは50以下という条件の下4名をピックアップしてみたが、皆さんはどんな選手を思い浮かべたでしょうか?
ぜひみなさんの思い浮かべた選手をTwitterにて、
ハッシュタグ #W杯で見たかった日本選手 で投稿ください。みなさんの投稿も踏まえてベストイレブンを完成させてみたいと思います。