常勝軍団による、育成現場のあるべき姿とは?
昨シーズンのJリーグ、天皇杯を制し国内19冠を達成した「鹿島アントラーズ」。Jリーグ王者として臨んだFIFAクラブワールドカップでは、あのレアルマドリードをあと1歩のところまで追いつめ、世界を驚かせました。
今回はJ屈指の“常勝軍団”の育成現場に焦点を当てていきたいと思います。
巧みな若手育成と勝負にこだわるジーコ・スピリット
2016年シーズンのチームの躍進は、ベテランと若手の融合が作り上げたチームの成熟度の高さが生み出したものではないでしょうか。鹿島のレジェンドと言っても良い、キャプテンの小笠原満男と曽ヶ端準がチームを牽引し、日本代表に名を連ねるCBコンビの昌子源と植田直通、レアルマドリードから2点を奪い、スペイン2部に移籍した柴崎岳をはじめ、ユース出身の土居聖真や鈴木優磨と言った“若鹿”がピッチ上で躍動。伝統的な“勝負強さ”を存分に発揮し、クラブの新たな歴史を作りあげました。
「鹿島は若手育成が上手い」との声を耳にしたことがあります。確かにその通りで、高卒で入団し、チームの中心として活躍後に日の丸を背負う選手を数多く輩出してきました。1995年の鈴木隆行(日立工業高校)をはじめとして、96年は現在トップチームのコーチを務める、柳沢敦(富山第一高校)と平瀬智行(鹿児島実業高校)、98年には現キャプテンの小笠原満男(大船渡高校)、ギラヴァンツ北九州に活躍の場を移した本山雅志(東福岡高校)、クラブのC.R.O(Club Relations Officer)に就任した中田浩二(帝京高校)、2001年には現在サガン鳥栖で活躍する青木剛(前橋育英高校)、2004年には増田誓志(鵬翔高校)、2005年には現在浦和レッズのエースストライカーとなっている興梠慎三(鵬翔高校)、シャルケに在籍し、膝の大ケガから復帰を果たしつつある内田篤人(清水東高校)は2006年に入団。先日発表されたロシアW杯アジア最終予選の予備登録メンバーに名を連ねた遠藤康(塩釜FCユース)は2007年、2009年には、その年の全国高校サッカー選手権大会で10ゴールの大会最多ゴール記録を塗り替え、先日の日本代表戦でも活躍した大迫勇也(鹿児島城西高校)、2011年にはプラチナ世代の中心選手であり、稀代のゲームメイカーである柴崎岳(青森山田高校)と鹿島CBのレジェンドである秋田豊や岩政大樹が背負った背番号「3」のユニフォームを身につける昌子源(米子北高校)、2013年には昌子と共にコンビを組み、次世代の日本代表のCBとして期待のかかる植田直通(大津高校)、2015年には、こちらもW杯予選の予備登録メンバーに選ばれた「ギラギラ」とした目つきが印象的で、今季公式戦7試合で4ゴールと好調を維持しているストライカー、鈴木優磨(鹿島アントラーズユース)と言った、数え挙げるとキリがないほどの数の有望な若手を育て上げてきた。
これだけの有望な選手たちの獲得には、常務取締役強化部長を務める鈴木満(すずき・みつる)氏の存在なしには語ることはできません。住友金属時代から在籍し同チームの監督を経て、その後鹿島アントラーズのヘッドコーチに就任。96年からは強化責任者として伝統的な“常勝軍団”を築きあげてきました。
勝負にこだわり、チームに関わる全ての人を家族と表現するジーコ・スピリット。その魂を間近で体感してきたOBだからこそ、それを体現できる選手を見極め、獲得に至ることで、国内タイトル19個のタイトルを獲得してきました。
アントラーズの育成が素晴らしいものであるということは、確かな事実ではありますが、その育成はあくまで「トップチームにおける」ということを言わざるを得ないのと考えます。上記で挙げた選手たちのほとんどは、ユースチームの出身ではなく、高校サッカー界に身を置き、プロとして活躍できる技術やメンタルを身につけてきた選手たちです。もちろん曽ヶ端選手や現在ベガルタ仙台で活躍する野沢選手、背番号「8」を背負う土居選手、先ほど挙げた鈴木優磨選手らはユース出身ではありますが、少数であることが現状です。
Jリーグが掲げる、地域に根差したクラブを作るうえで、地元出身且つ下部組織で育った生え抜きの選手を、日の丸を背負うプレイヤーに育てあげることが、地元の活性化につながることはもちろん、クラブ経営の観点からも、必要なことだと思います。
現在トップチームで活躍する、下部組織から昇格した地元出身プレイヤーとは、曽ヶ端選手(茨城県鹿嶋市)と鈴木優磨選手(千葉県銚子市 ※銚子市はアントラーズが指定するフレンドリータウンのひとつです。)、若手GKの小泉勇人選手(茨城県神栖市)、左利きCBの町田浩樹選手(茨城県つくば市)の4人となっています。
鹿島アントラーズのホームタウン出身の筆者からすると、少し寂しい数字であると感じています。
下部組織の活動としては、新たに茨城県つくば市にジュニアユースチーム(中学生年代)の設立をはじめとし、茨城県全域+フレンドリータウンにアントラーズスクールを数多く開校させるなど、草の根の活動が行われています。
次のページでは、そんな“常勝軍団”の下部組織の活動について簡単に紹介させていただきたいと思います。
茨城県全土を網羅!地産値“昇→勝→翔”)を目指して。
トップチームで活躍を見せる、ユースチーム出身の顔といえば、数多くのタイトルをもたらし続けている曽ヶ端選手や、足元の技術に長け、パスセンスや得点能力も備えた攻撃的MFの土居選手、短い出場時間ながらもJ1リーグ4試合2ゴールを記録し、試合に出場すると「彼なら何かやってくれる!」と期待せずにはいられないFWの鈴木優磨選手が挙げられます。
今シーズン「全タイトル獲得」を目標に大型補強を敢行した鹿島アントラーズ。競争が一層激しくなったチームでも存在感溢れる3選手が育った下部組織について着目していきましょう。
1993年より選手の育成・発掘を目的に設立された「アントラーズアカデミー」。
高校生年代が所属するユースチームは、トップチームと同じ鹿嶋市に拠点が置かれています。親元を離れ、チームメイトと共に寮生活を送り日々練習に励んでいます。アントラーズの黄金期を支えた、熊谷浩二監督が指揮を執り今年で就任5年目のシーズンを迎えます。
町田選手が在籍していた2015年には、高校年代最強を決める高円宮杯U-18サッカーリーグプレミアリーグ制覇を達成するなど、輝かしい結果を残しています。練習環境はもちろんのこと、育成年代で重要と言われる食生活を、プロテインで知られるザバスと連携して選手をサポートしています。また、サッカーだけではなく学業においてもサポートが手厚く、2004年から高校サッカーの強豪校でもある鹿島学園高校と提携を結び、勉学もチームメイトと共に過ごしています。全員が同じスケジュールをこなすことで、効率的に練習をこなすことが出来る環境が整っています。加えて、修学旅行の期間を利用して、2年に1度スペイン遠征を行い、世界のレベルを体感するという貴重な経験が出来るのも魅力の一つです。
そしてなんと言ってもトップチームの存在を1番身近に感じることが最大のメリットでしょう。
トップチームとの練習試合を行ったり、有望な選手はチームのキャンプに帯同したりすることが可能なことも、ユースチームならではです。
中学生年代が所属するジュニアユースチームは3つの拠点に分かれていて、本家となる鹿島ジュニアユースをはじめ、茨城県の北部に位置する日立市には鹿島アントラーズノルテ(ノルテはポルトガル語で「北」を意味します。)、2011年茨城県南西部位置するつくば市に開校したばかりの鹿島アントラーズつくばの3チームで活動をしています。全チームとも2017年シーズンは関東1部リーグに所属し、切磋琢磨していきます。
ジュニアユースでは、8年前から各校から選抜された選手たちで「アカデミートレセン」を作りそのチームで海外遠征を行うなど、中学生年代から、トップチームへの登竜門であるユース昇格にむけた競争を行わせています。
最終学年の夏休みは、今年で20回目を迎える、フラメンゴやコリンチャンス、サントスなどと言ったブラジル名門チームの下部組織が参加する「日本-ブラジル友好カップ」に3校とも臨んでいます。これも選手たちにとっては良い意味で刺激になることは間違いありません。
小学生年代のジュニアチームも現在は鹿島アントラーズジュニアと鹿島アントラーズつくばジュニアの2校で活動をしています。両チームとも昨年は全国大会に出場し、鹿島アントラーズジュニアはベスト8と好成績を収めています。2017年シーズンからは新たに鹿島アントラーズノルテジュニアも開校し、より茨城県内での選手の育成と発掘を行っていくとのことです。
下部組織とは別に茨城県内16ヶ所と千葉県銚子市の全17ヶ所で展開しているアントラーズスクール。コースも幼稚園・保育園生〜大人、女子のコースを展開しており、トータル3000名を超える生徒がサッカーを楽しんでいます。サッカー文化を県内に広める役目も担っています。
正直なところ、茨城県は関東の他県に比べるとサッカーのレベルはそこまで高いとは言えないのが現状です。
茨城県は東西南北に広い県であり、南部から西部地区の子供たちは、千葉県や埼玉県、東京都などでサッカーチームに入る子が居たり、数時間かけて通ってきたりする子供たちが多く居ました。しかし、2011年にアントラーズがつくばに拠点を置いたことで他県への選手の流出を防ぐだけではなく、他県から才能あふれる選手たちを集められることが可能となりました。アントラーズが中心となり、茨城県全体のサッカーのレベルを押し上げていって欲しいと思います。
地元出身の選手(地産)が、ユースチームでチームの伝統や技術、人間としての価値を高め(値)、将来“常勝軍団”のユニフォームに袖を通して勝利を経験し(勝)、世界に羽ばたく選手(翔)の育成を目標に、国内屈指のクラブは、地道な活動を1歩ずつ行っています。チームの未来は明るく、今後も多くの歴史を作っていくことでしょう。