海外経験の成果に期待が集まるサガン鳥栖のGK権田修一選手
Jリーガーの海外移籍は珍しい事では無い時代になっています。多くのJリーガーが主としてヨーロッパ各国のリーグに移籍し活躍をしている事実は、多くのサッカーファンの皆さんもご存じの事だと思います。
その多くの選手のポジションはフィールドプレイヤーです。フィールドプレイヤー以外のポジションの選手と言うのはGKというポジションただ一つです。海外移籍が珍しく無くなった現在においても、GKの海外移籍の例は数少ないというのが現状です。
現在までにJリーグのGKの海外移籍は僅かに3名のみ。3名共、代表経験者です。川口能活選手(SC相模原)、川島永嗣選手(FCメス)、そして現在サガン鳥栖所属の権田修一選手(以降は権田選手と記載)の3名です。
しかも、海外移籍した3選手共にヨーロッパ主要リーグのクラブとは言えず、更にはスタメンとして活躍したとも言い難いのが事実です。それだけ海外で日本人のGKが活躍するのは困難だと言えます。
今シーズンサガン鳥栖に移籍した権田選手が海外移籍の経験をどの様に発揮してくれるのか、注目してみましょう。
by サガン鳥栖HP
海外移籍するまでの歩み
権田選手は東京都世田谷区出身で、15歳の時にFC東京U15に入団し、海外移籍する前の間にFC東京でGKとして活躍しました。高校生の時にFC東京初の平成生れ選手としてトップチームに昇格を果たします。
正GKの座は、それまでの正GKだった塩田仁史選手(現大宮アルディージャ)が病気の為に長期療養している間に訪れて、それ以来2015年に移籍するまでの間FC東京の正GKとして出場し続けます。
又、U15日本代表に選出後、全ての年代別日本代表に選ばれ続けてA代表にまで選出されます。若くして将来を嘱望された、次世代の日本代表正GK候補となりました。
by tokyo12
GKというポジションの特性
GKというポジションは、一度正GKの座を射止めると、長年継続する傾向の強いポジションです。しかもスタメンで出場すると、怪我などの不測の事態以外はまず途中交代する事もありません。
何しろ11名で構成されるサッカーチームの中において、たった一つしか無いポジションですから、熾烈な競争の結果正GKの座を獲得すると、ライバルにポジションを奪われる事は多くありません。
権田選手もその例外では無く、FC東京で正Gkの座を射止めて以降、2015年までその座を守り続けました。しかし2015年夏に事態は急変してしまいました。奇妙な名称の疾患にみまわれてしまったのです。
by odt.co.nz
聞き慣れない疾患を発症
プロアスリートは、身体を張って短いプロ人生を生きる職業ですから、凡人には想像できない位に日々トレーニングを重ねている筈です。
選手個人の力量、性格、体調、意識、コンディション等により、トレーニングの内容、時間、深さ等に違いはあるとはいえ、毎日のトレーニングを欠かしてもゲームに出れる程甘い世界ではありません。
プロの各サッカークラブには専属のトレーナーが存在して、監督コーチらと意思疎通を図りながら日々のトレーニングメニューを検討実施しています。
しかし選手個人においても、トレーナーから提供されるメニュー以外に、地道にトレーニングに励む選手も多々いるのです。
そのせいか否かは測りしれませんが、権田選手はオーバートレーニング症候群という聞き慣れない疾患を患ってしまいました。
オーバートレーニング症候群というのは、運動で生じた生理的な疲労の回復が十分で無い状態で積み重なって引き起こされる慢性疲労状態の事を言うそうです。
単にオーバートレーニングした結果患う疾患という訳ではありません。疲れが取れない、倦怠感、食欲不振、睡眠障害、体重の減少、集中力の欠如など、肉体だけではなく精神的にも悪い影響を及ぼす症状が出るそうです。
この病気の発症により、FC東京のゲームに出場する事ができなくなってしまいました。ご存じ無い方が多いのではないかと思いますが、将来を嘱望された権田選手がゲームから遠ざかった理由はここにあったのです。
by FC東京HP
無名の海外クラブに移籍
新たな展開に進展します。正GKであったFC東京から、海外クラブへの期限付き移籍を決断したのです。しかもそのクラブは無名クラブでした。FCホルンというオーストリア・リーグ3部のクラブだったのです。
ヨーロッパ各国リーグとJリーグのレベル差があるとはいえ、ヨーロッパ主要リーグではないオーストリア・リーグで、しかも1部ではなく3部のクラブを選択したのですから、驚きでした。
このクラブは無名クラブですが、オーナーが日本人にとっては有名人でした。ACミラン所属の本田圭佑選手がクラブ・オーナーなのです。
FC東京で出場機会を逸してしまった権田選手に本田選手から声掛けして、この移籍が実現したと言われています。
「僕がここに来たのはシンプル。環境を変えて、自分を変えてプレーする必要があったから。自分の挑戦のため。それだけですよ」と、権田選手はNumberのインタビューで述懐されています。(参照:Number)
ご本人のお話しですからその通りなのでしょう。しかし、ブンデスリーガでもセリエAでも無く、オーストリア3部リーグのクラブへの移籍を選択した所に、権田選手の立ち位置を感じざるを得ません。
今日はSVホルンの入団会見でした!
背番号は33番にしました。
なぜかって?誕生日です!笑
SVホルンの33番を応援よろしくお願いします! pic.twitter.com/TCpOaw7CtG— Shuichi Gonda (@gonchan20) 2016年1月29日
無名の海外クラブに移籍
初の海外クラブへの移籍は新鮮だった様です。練習方法の違いを実感したり、練習試合で対戦する相手GKのレベルの高さに衝撃を受けたそうです。
移籍初年度は怪我をしてしまった事もあり出場ゲームは2試合。2年目シーズンの昨年にクラブは2部に昇格しましたが、出場ゲームは15試合。キャリアを積んだと言える実績かどうかというのは微妙な戦績でした。
サッカー選手のみならず、環境や文化が変わった場所で生活する事だけでも、人は成長するものですが、その場所が言葉も歴史も文化も違う外国である場合は、異文化対応力を発揮する結果を生じさせるという経験を筆者も経験しています。
その上で、SVホルンの権田選手にとっては力強い助っ人が登場しました。元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表GKのニハード・ペコヴィッチ氏がSVホルンのコーチに就任したからです。氏は現役のスロベニア代表GKコーチでもあり、アトレティコ・マドリーの正GKヤン・オブラクやインテルの正GKサミール・ハンダノビッチを直接指導している名コーチとして知られた方です。
「もっとボールに、シュートに速く行けと言われます。ボールをセーブするのではなくて、『ボールに対してアタックする』という感覚」を持てと言う事が、圧倒的に日本のGKの常識とは違う点だと権田選手は述懐されています。
氏の指導の下で体得しつつある感覚は「素早くかつ強くなんです。音で言うと、バシッ!ではなくビュン!と動く感じで(笑)。とにかく飛んできたボールへの到達時間を早くすることですね。やっぱり、僕も含めて日本人のGKはその感覚が足りない。」と言う権田選手は、ヨーロッパで更なるステップアップを望みました。
本来はFC東京に復帰する筈の期限付き移籍でしたが、ヨーロッパ他クラブへの移籍を希望した権田選手はFC東京との契約を解除。然しながら自身が希望する通りにヨーロッパ他クラブへの移籍は叶いませんでした。
ヨーロッパで足らざるを知った権田選手の経験は、今シーズン、サガン鳥栖で活かされる事になりました。
by サガン鳥栖HP
サガン鳥栖のGKとして今シーズンからJリーグに復帰した権田選手は、開幕戦からピッチに立っています。
想定外の疾患で戦列を離れてから、オーストリアで掴んだボールにアタックする感覚を活かし、Jリーグに新たなGK像をもたらす事ができるのか。
注目してみましょう!