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ミスター・トリニータ、政治の世界にキックオフ!大分愛に満ちた高松大樹さんの選択

扇ガ谷 道房

2017/01/21 21:00

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NEWS

大分愛に目覚めたA代表選手

クラブ以外でも国際試合で活躍をしました。2004年アテネオリンピック代表として、本大会3試合全てに出場し、アンドレア・ピルロ(現:ニューヨーク・シティFC)らを擁したイタリア戦でゴールを決めています。チームは1勝2敗で残念ながら予選突破は叶いませんでした。
2006年にはA代表に召集されて、AFCアジアカップ2007最終予選のサウジアラビア戦で国際Aマッチ初出場を果たしました。この頃から、大分トリニータ・サポーターからは、ミスター・トリニータと呼ばれ始めます。
ちょうどその頃には、浦和レッズから移籍オファーがあったそうで、同年代の選手も多く所属するビッグクラブへの移籍に心が動いた事もあった様です。しかし、結局は大分トリニータ残留を決めているのです。
「やっぱり、大分だからですかね。あのときは署名活動もあって、みんなに残ってくれと言われたんです。こんなに僕のことを思ってくれる人がいるんだから、出ていくことなんてできないでしょ。」
こう述懐されている高松さんの大分愛は、このころ既にしっかり芽生えていました。その事が、大分トリニータ一筋でプロ生活を全うした最も大きな要因でしょうし、後述する引退後の選択に繋がったとみて良いと思うのです。


by JFA

二つの夢を叶えたJリーガー人生

2016年11月12日大分銀行ドーム。大分トリニータのホームで、2016年J3シーズンのホーム最終戦が行われた日です。この時点で大分トリニータはJ3首位。最終節を次週に残しているので、J2復帰は確定してませんでした。
この日のゲームが大分トリニータのホームで高松さんが出場する最後のゲームとなりました。高松選手はこのY.S.C.C.横浜戦に84分から途中出場。そして、ホームでの最後のゲームとなった事から、ゲーム後に高松さんの引退セレモニーが行われました。
平均入場者数7771人の大分銀行ドームにこの日集まった観客数は1万1065人。高松さんは、短いメッセージながら、大分のサポーターに向かって、心のこもった最後の挨拶をされました。
最も気持ちのこもった一節がこちらです。「自分の夢が二つ叶いました。トリニータで優勝できたこと、トリニータで引退できたことです。」
唯一の優勝経験はカップ戦でしたが、プロとして入団したクラブで頑張り続けて、そのクラブで引退するという例は、多くのJリーガーの中でも極めて少ない事だと言えます。
ビッグクラブからのオファーを断り、経営破たんを経験した地方の小クラブに17年間一筋(1年間のレンタルを含む)に所属して闘い続けた高松さんのプロ人生は、見事だったと言えます。
華々しい戦績や記録のある選手ではありませんでしたが、プロになったそのクラブに一途の愛を捧げた、男らしいプロサッカー選手でした。


by Legends Stadium

キックオフした第二の人生は政治への道

引退された高松さんが選んだ第二の人生は、政治の道でした。
「私のすばらしい経験は、地域の方々の支えなしには不可能でした。その感謝を考えた時に、地域への恩返しで大分市議会議員になることを自ら決意しました。」とオフィシャル・ブログで述べられています。
大分を愛してしまった高松さんは、大分の地で政治家として地域のお役に立とうと、出馬を決意されたのです。
高松さんが決意された様に、Jリーガーが政治の世界に転身された例は、多いとは言えませんが、今までにもあります。
さいたま市議会議員、埼玉県議会議員だった元浦和レッズの田口禎則さん、元アルビレックス新潟で現新潟市議会議員の梅山 修さん、参議院議員だった元愛媛FCの友近 聡朗さん、現さいたま市議会議員で元浦和レッズ(元日本代表GK)の都築龍太さんなどがおられます。
大分市議会議員選挙は2017年2月19日です。高松さんが当選しているかどうか、筆者が執筆している時点では想像だにできません。ご健闘をお祈り致します。


by デン速

「本音を言えば、J1にまで上げてから引退したかった。」と語る高松さん。しかし多くのサッカーファンは、高松さんが貫いたクラブ愛、大分愛に理解を示している筈です。
ミスター・トリニータがキックオフした第二の人生が順風満帆な船出になる事を、筆者も願っております。

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