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アフリカでプレーする唯一の現役日本人プレーヤー。中村元樹選手インタビュー 前編

Yoshitaka Imoto

2016/10/09 23:00

2016/10/10 18:59

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今回取材させて頂いたのは中村元樹選手です。彼は2011年にアルバニア、2016年にマラウイで日本人初のプロ契約を結びました。
世界各国を渡り歩き、アフリカ・マラウイでプレーする異色の経歴を持つ中村選手。前編は高校卒業後からプロ契約を結ぶまで、さらに世界各国のサッカーについてお話を伺いました。

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高校はフットサル部に所属、卒業後単身ドイツへ

中村選手は兵庫県芦屋市出身、高校時代はフットサル部でプレー。高校卒業後、ドイツへ渡られました。海外でプレーする理由として、中田英寿さんの影響が強かったそうですが、他にも理由はあったのでしょうか?

そうですね。僕は高校にサッカー部がなかったんですけど、サッカー選手になりたいという夢があってもサッカー選手になれる環境でも、当時なれる選手でもありませんでした。高校も不良学校でプロを目指せる環境でもなく、自分の環境を変えたくて、周りの高校サッカーを経験している子たちよりも2倍も3倍も早く成長してプロでやれる身体づくりなどをする必要があると思っていました。
それだったら日本じゃなくて、海外に行かないとより一層成長しないだろうなと思ったのが一番の理由です。海外で日本とは異なるサッカーを学ぶことで、自分の長所を見つけることや、自分がより一層成長できる環境があるのではないかなと思いました。

高校卒業後ドイツへ渡られてからは、ドイツユースリーグのDJK Tus Hordel,
Vfb Hulsに所属して、アマチュア選手として経験を積まれました。この頃に現在ドイツ代表司令塔のメスト・エジル選手(アーセナル)ともプレーされたそうですね?

そうですね。一緒のチームではありませんが、(ユース年代の)練習試合やカップ戦で、シャルケユースに在籍していたエジルやノイヤー(バイエルン)らと対戦しました。僕の元チームメイトで今エージェントをしてくれてる人がいるんですが、彼が昔エジルとずっと2トップを組んでいました。僕はそんなに(エジルとは)面識があったわけではないですけどね。

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高校卒業後ドイツへ、ユースリーグでプレー

その後ベトナムリーグを経て、日本の地域リーグで練習されていたそうですね?

はい、ベトナムで数ヶ月ずっと練習参加していたチームと契約出来ず、帰国した時はFCブリーズという市リーグに所属していたチームで練習していました。周りはセレッソの元ユースだった選手や、上手い人たちがいました。そこで身体を動かしていました。その時相手チームにいた人から、セレッソの練習に参加してみないかと誘われました。

日本のJリーグにも興味はあったのでしょうか?

そうですね。やはり憧れはすごくありましたね。Jリーグから考えたら末端にいた人間だったので、いきなりJリーグの舞台が近くに来たと考えた時に、プレーしたいとすごく思いましたね。それまでは、周りのサッカーエリートに対してすごく反骨心みたいなものがあって、Jリーガーになれるような選手たちを羨ましいと思いながら、その気持ちを糧に努力していました。Jリーグには、ずっと小さい頃から憧れていましたね。

セレッソの練習参加後も南米のペルーなど、世界を転々とされていました。この時期は今思い返すと中村選手にとって、どのような時期でしたか?

そうですね。ドイツを出てから国を転々としても契約できなくて、自分の中で葛藤がありました。周りや元チームメイトが就職やプロになっていく中で、「自分の中でサッカー辞めた方がいいのかな」とか、僕には才能が無いという風にずっと感じていましたね。けれど、絶対やってやるという気持ちはずっと持っていて、それがモチベーションになっていましたね。

アルバニア初の日本人プロサッカー選手

2011年、アルバニアのFCトモリ・べラトと契約を結ばれてアルバニア初のアジア人・日本人プロ選手になられました。アルバニアでプロになった時はどのように感じましたか?

そうですね。契約する直前にチームのスポーツディレクターが代わって、契約が流れるという話になっていたんです。それまでは、練習試合(3試合)に出場して、全試合でゴールを決めて会長からすごく気に入られていました。契約だという話になっていましたが、それが流れるかもという風になっていたのです。その時に、「またか」と思っていたんですけど、最終的には契約できました。色んな経緯があり(チームが)昇格するまでは、ローン(期限付き移籍)で違うチームへ行きました。契約できた時は、嬉しいというよりホッとしたという方が強かったですかね。スタート地点に立てただけで、そこからゴールが取れなかったりと良いプレーをしなければクビを切られるだけなので、そこはある程度切り替わっていた部分はありましたね。ホッとしたと同時に、プロとしてのプレッシャーを感じられたのはすごく良かったです。

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2011年にアルバニアでプロ契約

レンタルでビリシュティ・スポルチへ移籍、プロ一年目のシーズンを9試合出場2得点1アシストという結果を出しました。初めてプロでプレーして、グラウンド内外で感じられたことはありましたか?

そうですね。ビリシュティ・スポルチというチーム自体がすごい環境のチームでした。監督が会長を兼任していて、毎日選手を罵倒し、負けたら給料は払わないとか挙げたらキリがないです。すごく過酷な環境で身体が休まる場所がないというか、与えられた家もラブホテルみたいな所でチームメイトとシェアで、サッカーでもストレスがたまる場面がありました。ファンからのプレッシャーというよりは、会長や監督からのプレッシャーのほうがすごかったですね。在籍していた外国人選手試合が終わる毎に毎回誰か帰国させられてました。

正直本来とは少し違ったプレッシャーだなというのは、自分の中ですごく思っていましたね。けれど、そのプレッシャーが自分を高めていると思っていましたし、その当時のプレーは客観的に見てもパフォーマンスが良かったんですよ。ゴール自体は少なかったですけど、自分が思い描いていたプレーができていたんで、ある種自信にはなりましたね。

そういった(過酷な)環境の中でも自分が折れずに続けて、パフォーマンスが出せていたのは自信になりましたね。(チームの)サッカーもハードでしたから、大雑把にぼーんと蹴るようなサッカーでした。センターフォワードとして前に置かれてボールをキープする、または、裏へ抜けてゴールまで行って来い見たいな感じでした。その一つ一つのプレーがミスも少なかったですし、一人で裏抜けてシュートまで行くといったプレーも出来ていたので、それが自信にはなりましたね。今の自分があるのも、それがあったからかなと思います。(当時のプロ一年目という)緊張感、緊迫感、なお且つプレッシャーが自分の集中力をより高めてくれたのかなと思います。

次ページ:様々な国でプレーした中、印象に残っていること

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