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マンチェスター・シティ行き?名選手で名監督、ペップ・グアルディオラ

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2016/01/15 20:30

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ジョゼップ・グアルディオラ監督が今季でバイエルン・ミュンヘンを去ることが決定しました。FCバルセロナの象徴的選手として活躍し、指導者としても戦術で圧倒し、数々の優勝タイトルを獲得してきたグアルディオラ監督のキャリアをまとめました。

グアルディオラ1
by footballista

ユース時代を含めてバルセロナに17年間、在籍

スペイン、カタルーニャ地方のサンバドーで生まれたグアルディオラはカンプ・ノウからわずか100mほどにあった学校に通っていました。

13歳でバルセロナの下部組織、ラ・マシアに入寮し、1990年にトップチームデビュー。当時のヨハン・クライフ監督に見出されれると91‐92年シーズンでレギュラーとなり、20歳でリーガ優勝とUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)2冠に貢献。

その後、リーガ4連覇、96−97年シーズンにはコパ・デル・レイ、UEFAスーパーカップ、UEFAカップウィナーズカップのトレブル(3冠)の達成を果たしました。代表歴でも91年にスペインU-21代表に選出されると、U-23代表では92年バルセロナ五輪で金メダルを獲得。92年から2001年までスペイン代表の中心になります。

しかし、W杯での実績は94年アメリカW杯でのベスト8しかなく、98年フランスW杯、02年日韓W杯は怪我などで出場できませんでした。そして00年−01年シーズンを最後にリーグ優勝6度など12シーズンで16個の優勝タイトルを獲得し、17年間を過ごしたバルセロナを離れました。

イタリア、カタール、メキシコでプレー

グアルディオラ2
by INTERVALO

31歳でイタリアのセリエA、ブレシア・カルチョを新天地としたグアルディオラはロベルト・バッジョとプレーすることを希望しての移籍でした。

しかし、イタリアではあまり成功したとは言えず03年にカタールのアル・アハリへ移籍しました。そして06年にはメキシコへ渡り、メキシカン・サッカーリーグのドラドス・シナロアで現役引退。メキシコでプレーするきっかけとなったのは、グアルディオラが慕うファン・マヌエル・リージョ監督に誘われたからでした。

世界に衝撃を与える緻密なサッカーを繰り広げる指導力

グアルディオラ3
by Yahoo!知恵袋

指導者の道へと歩みを進め、07−08年シーズンにバルセロナB監督に就任。4部から3部に昇格させ、2年目には遂にトップチーム監督へ。それまで2シーズン連続で無冠だったクラブで中心選手だったロナウジーニョ、デコを放出し、下部組織出身の選手を中心としたチーム作りに方針を固め、厳しい罰則を取り入れ、規律あるチーム作りへと着手します。

そして就任1年目にリーガ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグと3冠達成へと導き、その翌シーズンにはクラブ史上初のクラブW杯を制覇し、なんと6冠達成という史上初の偉業も打ち立てました。さらにヨーロッパ新記録となる勝点99でバルセロナに20度目のリーガ優勝をもたらすなど世界トップクラスの名監督へと辿りつきました。

バイエルンの哲学に共感

グアルディオラ4
by bundesliga.com

そして12年4月に退任を発表し、1年の休暇を経て、13−14年シーズンからドイツのバイエルン・ミュンヘン監督に就任。バイエルンは約2年をかけて秘密裏にグアルディオラとの交渉を準備し、最新鋭のトレーニング施設、経営方針、頑固に伝統を重んじるクラブ哲学などクラブの価値観に共感したことが契約へと至りました。そして1年目からクラブW杯優勝、リーグ戦も開幕から首位独走で優勝し、DFBボカールも制して2冠達成と結果を残しました。さらに翌年もリーガ連覇へと導き、FCバルセロナで行っていた緻密な戦術をバイエルンでも実践させ、ドイツで敵無し状態を構築しています。

契約最終年となった今季も首位で前半戦を折り返し、3連覇へとひた走っています。プレミアリーグ入りをすればリバプールを指揮しているユルゲン・クロップ監督との対決も再び実現して楽しみです。まだまだ動向に注目です。

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