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タイトルに無縁の強豪チーム監督、浦和レッズのミハイロ・ペトロヴィッチ監督とはどんな人?

扇ガ谷 道房

2016/01/10 14:00

2016/01/11 09:34

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NEWS

元旦の天皇杯サッカー決勝は、ナショナル・ダービーとまで呼ばれるガンバ大阪と浦和レッズの対戦でしたが、賜杯を手にしたのはガンバ大阪でした。
2015年シーズンは、第1ステージは浦和レッズ、第2ステージがサンフレッチェ広島、年間チャンピオンは第2ステージを制したサンフレッチェ広島が制しました。

サンフレッチェ広島は直近の4シーズンで3度年間チャンピオンに輝いています。現在の森保監督になってから4シーズンですが、それ以前の監督が現在浦和レッズ監督のミハイロ・ペトロヴィッチさんでした。

サンフレッチェ広島から浦和レッズの監督になった年にサンフレッチェ広島が優勝し、浦和レッズではJ2降格寸前まで崩壊したチームを建て直して、常にリーグ上位に位置する様になりましたが、ここ数年あと一歩が届かずに優勝を逃しています。

内容の濃いサッカーをするチームを育てるものの、優勝に縁の無い監督と呼ばれていますが、卓越したサッカー観と指導は定評があります。そんなミハイロ・ペトロヴィッチさんのことをご紹介致します。

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督1
by 浦和フットボール通信

愛称はミシャ

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督は、1957年ユーゴスラビアに生まれます。現在はオーストリア国籍です。愛称はミシャ(以降ミシャ監督と記します)。
ミシャ監督が生まれたユーゴスラビアという国は現在は存在していません。1991年の紛争により分裂して、現在は、セルビア、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアという6つの国に分かれてしまっているのです。

ミシャ監督が生まれたのは現在のセルビア。14歳の時に名門ベオグラード・レッドスターのユースに入団し、1974年に当時2部リーグのFKラド・ベオグラードへレンタル移籍したのがプロデビューでした。攻撃的MFとして活躍し1974年にレッドスター・ベオグラードに復帰しました。

その後3つのチームに移籍し1993年に現役を引退します。1980年には当時のユーゴスラビア代表にも選出されているんです。
1993年に現役引退後すぐにSVペラウというチームで監督に就任し、監督としての人生が始まりました。1996年SKシュトゥルム・グラーツのアシスタントコーチ兼アマチュアチーム監督に就任します。この時トップチームの監督をしていたのが、後に日本代表監督になるイビチャ・オシムさんでした。ミシャ監督はこのチームでオシム監督から多くの事を学んだそうで、その後の監督としての仕事に大きな影響を受けたようです。

その後3つのチームで監督をした後、2006年サンフレッチェ広島の監督に就任されます。

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督2
by vebidoo.de

サンフレッチェでJリーグ監督を開始

当時サンフレッチェ広島はJリーグで下位に低迷していました。しかし監督に就任するや否や若手を積極起用したりコンバートして何とかJ1残留させます。
翌2007年、ナビスコカップで初の決勝トーナメント進出、天皇杯では決勝に進出し準優勝と、トーナメントでは上位に進出するも、Jリーグでは低迷しリーグ入れ替え戦の末J2に降格してしまいます。

J2に降格したもののサンフレッチェ広島はミシャ監督を留任させて、翌2008年、FUJI XEROX SUPER CUP優勝、J2史上初の9月中優勝・全節首位を維持して、一年でJ1に返り咲きさせました。
J1復帰の2009年、昇格1年目のチームとしては当時の最高記録であるリーグ戦4位となり、天皇杯の結果で繰り上げでACL出場権を獲得します。2010年はナビスコ杯準優勝。

2011年末、広島は2年連続で赤字になる見込みとなったことからミシャ監督との契約を断念し、翌2012年から浦和レッズの監督に就任したのです。

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督3
by SANFRECCE HIROSHIMA

タイトルの取れない浦和レッズでの闘い

2011年シーズン、浦和レッズはまさかのJ2降格寸前の状態でした。2006年のJリーグ制覇の後優勝から遠ざかりつつあるチームは、得点力のある外国人を頼りにするチームから、ユース出身の若手の活躍できるチームへの変貌期という難しい状況を重ねていました。

強い浦和レッズの復活を任されたミシャ監督は初年度から成果を上げます。15位だった成績から3位まで飛躍的に順位を持ち上げます。翌2013年は首位に何度も迫りながら結局は前年成績を落とす6位に終わってしまいました。
優勝への渇望に飢える2014年、W杯中断前を首位で折り返し、再開後の一時は2位に勝ち点7差をつけて首位を走るも、又もや終盤に致命的な失速で、Jリーグ史上世紀の大逆転Vと呼ばれる優勝をガンバ大阪に与えてしまいます。

そして迎えた2015年。2ステージ制が復活し、昨年のリベンジに燃える浦和レッズは第1ステージを無敗という大記録で制し、年間チャンピオンに期待が集まりました。しかし、クラブ史上最多となる勝ち点72を叩き出したにもかかわらず、年間勝ち点では広島に2点少なく、年間勝ち点1位を逃します。第1ステージ勝者として望んだチャンピオン・シップでガンバ大阪に敗れて、この年も年間チャンピオンのタイトルが取れずに終わります。

最後の期待であった天皇杯のタイトルでしたが、元旦の決勝戦ではゲームメイカーの柏木選手が怪我で欠場という不運があったとはいえ、又もやガンバ大阪に敗れて、タイトルを奪取することはできませんでした。

人もボールも動くオシム監督薫陶のサッカーで、ファンを魅了するチームを作れているにもかかわらず、最後の最後でタイトルが取れないというもどかしい浦和レッズでの4年間を経て、2016年も浦和レッズの監督としてタイトルを目指すことになりました。

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督4
by URAWA RED DIAMONDS

魅力的なサッカー戦術

現在花開いているサンフレッチェ広島の礎を作った前監督であることは知られています。又、浦和レッズの4年間を振り返っても、常に優勝争いをするチームに復活させました。しかしタイトルに無縁なのです。
プロの世界ですから、例え良いゲームをしても、優勝できない監督というのはなかなか評価を得ることができません。応援するファンにとっても優勝を望んでいるのですから、優勝寸前まで来て優勝を逃すのはとても残念なことです。

サッカー観というものも人それぞれですから、同じチームを観ていても、評価する人評価しない人がいて当然ですが、筆者はミシャ監督のサッカーを評価している一人です。浦和レッズの初年度だけは、攻撃的過ぎて守備が破綻をきたしていましたが、それ以降は攻守のバランスを取れていますし、何よりも攻撃的なサッカーをするという戦術にぶれが無いことを評価しています。

監督によっては、対戦相手や戦う場所によって、極端にチームコンセプトを変える監督がおられますが、ミシャ監督はそういうことをしません。愚直に信じる道を貫きとおしています。結果優勝を逃しているので、その愚直なサッカー観を否定視する論評もおりますが、信じる道を貫かない事が評価でしょうか?
とにかくミシャ監督のサッカーは観ていて楽しいです。それは攻撃的だからです。相手の様子を観て引いて守るサッカーを選択しません。運悪く負けてしまうことがありますが、往々にして攻撃を受けていた相手チームの一瞬のカウンターかセット・プレイから得点されることが多く、相打ちして競り負けている感じは余りありません。

ですから余計に敗戦は悔しいのですが、ゲーム内容をつぶさに見ると毎試合攻撃的で同じサッカーをしています。そこが多くの評論家やサポーターが揶揄する点で、負けても良いサッカーをしたと開き直っていると論評されてしまいます。果たしてそうでしょうか?

又、記者会見では一切選手を非難しません。全ての結果を自分で引き受けます。選手をかばう悪い癖と揶揄されますが、果たしてそうでしょうか?
サッカーも人生も時として運に左右されます。正しいことをしていても結果が出ないこともあります。だからといって正しいと信じる道を曲げて戦術をころころ変えたらどうなるでしょう。部下が失敗した時に上司は対外的に非難などしないのではないでしょうか。ミシャ監督のサッカーには、そういう人生観を筆者は感じています。

どうかそういう目で、今期の浦和レッズのミシャ監督のゲームを注目してみて下さい。サッカーは人生の縮図です。得点や勝利だけに一喜一憂するのではなく、トータルに何を目指しているチームなのかという観点で観戦すると、とても楽しいですよ!

最後にひとつだけ苦言を。攻撃のスイッチをもう少し早めて欲しいなー。

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督5
by MASA-NET

SOURCE : Wikipedia

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