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FC町田ゼルビアを4年振りJ2復帰に導いた相馬直樹監督とは?

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2015/12/16 09:15

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J2・J3入れ替え戦でJ2大分トリニータに2勝して4年振りにJ2昇格を果たしたFC町田ゼルビア。2012年シーズン以来となるJ2復帰を導いたのは日本が初出場した1998年フランスW杯で日本代表選手として出場した相馬直樹監督の手腕だった。

かつて日本代表、不動の左サイドバックとして日本サッカーの顔だった相馬直樹監督についてまとめてみました。

相馬直樹1
by FC MACHIDA ZELVIA

五輪代表も経験しているエリート選手だった

1971年7月19日静岡県静岡市清水区で生まれ、清水東高校(静岡県)から早稲田大学を経て、1994年に鹿島アントラーズ入団とプロキャリアをスタートしている相馬直樹監督。

学生時代も花形選手として活躍し、当時、関東大学サッカーリーグで活躍していたジュビロ磐田監督の名波浩(当時、順天堂大学)や現在も現役を続けている東京ヴェルディ1969の永井秀樹(国士舘大学)らと共に出場こそ逃しましたが、1992年バルセロナ五輪の日本代表としてアジア予選に出場しています。

鹿島アントラーズの黄金時代を支えた不動の左サイドバック

Jリーグが始まり2シーズン目を迎えた1994年、鹿島アントラーズへ入団した相馬監督の時代はFWアルシンド、“白いペレ”と称されたジーコもプレーしていた華やかなシーズンでした。その中で5月18日名古屋グランパス戦でJリーグ初出場、1年目はリーグ戦28試合に出場しました。

この年の1stステージでジーコが引退するとシーズン途中に94年ブラジルW杯を優勝したレオナルドが加入し、翌年にも同メンバーのジョルジーニョが加入と相馬監督は世界を制した左右のサイドバックの選手とチームメイトになりました。

2年目の95年にはリーグ戦50試合出場と左サイドバックの定位置を奪取し、1シーズン制に変わった96年、鹿島黄金時代の始まりとなったリーグ初優勝を達成。

退団した2003年(2002年は東京V)までにJリーグ優勝4度(96、98、2000、01年)、ナビスコ杯3度(97、2000、02年)、天皇杯2度(97、2000年)と数々の優勝タイトル獲得に貢献、Jリーグベストイレブンも95年から4年連続で選出されるJリーグの顔でした。

日本代表としてW杯初出場

相馬直樹2
by tommy先生の「世相を斬る」

鹿島2年目の95年に当時の加茂周監督に抜擢されて日本代表に選出。5月18日に行われたエクアドル代表との試合で日本代表デビューを果たしました。

国際Aマッチ初得点は96年5月29日のメキシコ代表戦でGKカンポスなど強豪相手に勝利するゴールを決め、そして97年のフランスW杯アジア最終予選でも不動の左サイドバックとして数々の苦難に立ち向かい、見事、日本代表のW杯初出場の切符を掴みました。そして翌年98年のフランスW杯でも全3試合に出場を果たし、99年に代表を離れるまで国際Aマッチ58試合に出場し、4得点と日本サッカーを牽引する存在でした。

現役引退から指導者の道へ

2002年に東京ヴェルディでプレーし、03年シーズンを最後に鹿島を退団した相馬監督は04年に当時J2所属だった川崎フロンターレへ移籍。

川崎フロンターレのJ1昇格に貢献し、05年シーズンを最後に現役を引退しました。引退後は解説者を務めながら09年にJFA公認S級コーチを取得。10年に当時、JFLだったFC町田ゼルビアの監督に就任し、監督キャリアをスタートしました。当時、日本人選手でのW杯経験者の監督就任は第1号となりました。

そして11年には古巣の川崎フロンターレ監督に就任し、13年モンテディオ山形のヘッドコーチを経て、14年に4年ぶりとなるFC町田ゼルビアの監督に就任し、今季みごとに町田のJ2復帰を勝ち取りました。

輝かしい選手キャリアを持つ相馬監督のJ2での采配が楽しみです。

SOURCE : Wikipedia | WASEDA UNIVERSITY ASSOCIATION FOOTBALL CLUB

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