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【コラム】敢えて言うならば、これは“サポーター批判”の記事である。

水上いろは

2018/03/27 11:55

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NEWS

選手のパフォーマンスへの批判、監督の采配への批判。シーズン終盤の時期や、まさしく今のようなW杯が直前に迫った時期にはこういった記事が多くの誌面を賑わし、論争に熱が帯びる。
 98年のフランスWカップに初出場を果たしてから今大会で6大会連続の出場となる我々サムライブルーは、すっかり出場常連国の一翼を担う存在となった。
 6度目のW杯。全世界が熱狂し憧れる夢の舞台まであと3ヶ月と迫った今、私は過去にないある“違和感”を感じている。
 選手への批判でも、監督への批判でも無い。誰を批判するでも無いが、このコラムに敢えて名を付けるとしたら“サポーター批判”の記事とでも銘打ってみようではないか──。

蔓延する関心の薄さ

 まず、結論から言ってしまおう。
 私が感じる漠然とした“違和感”の正体は、国民全体としての『関心の薄さ』である。

 98年フランス大会に念願の初出場を果たした時には普段サッカーに興味を持っていない者までサッカーに興味を傾けた。02年の日韓大会の時には、自国開催という事もあり更に熱は町中に沸いていた。06年ドイツ大会では過去2大会でサッカーを好きになった人が熱を焚きあげてくれた。そして10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯、常連となってくる事で結果が求められてくる。もうこの頃から我々サポーターからすれば夢の舞台に出場するだけでは満足できなくなっており、優勝とまではいかなくともベスト8ベスト4と、世界の名だたる列強国と肩を並べる姿を求めるようになっていた。しかし結果はグループステージ敗退やベスト16止まり。
 期待していた姿を見れなかった者たちは徐々に興味が薄れている。そして18年ロシアW杯を3ヶ月前に控えた街の姿は過去の各大会の3ヶ月前とは比べ物にならないほど熱が冷え切っている。というより、勝つ負ける以前に『W杯って今年なの?』というくらいにまるで“関心が無い”のである。

連鎖し伝播する危機感

 そして、この“関心の薄さ”は多かれ少なかれ選手や監督や日本サッカー協会にもきっと影響を与えているだろう。
 この本大会3ヶ月前に迫った大事な大事な国際親善試合。協会が対戦相手として取り付けたのがマリ代表とウクライナ代表。一部のサッカーに詳しいファン達を除けばお世辞にも関心を惹きつけるようなカードではない上に、選手たちにとってもグループステージで戦う仮想敵国
とするには所属地域が同じなだけでサッカーのスタイルが似ているチームとは言えないだろう。今回のこの試合をチェックしようと思ってるサポーター果たしてどれほどいただろうか。
 
 そしてこの関心の薄さは、選手のパフォーマンスにも影響が出ているのではないかと思う。いや、そうとでもしない限りこの大事な時期にあれ程の低調なパフォーマンスに終始し、得る物も課題も見つからないまるで消化試合のような試合を披露するわけがない。これは我々国民の関心の低さが招いてしまった、興味を持たれていない事への“ふて腐れ”の一種だったのではないかと説明するしかないだろうと、大いに皮肉を込めて表現しよう。

 そう、私は思うのである。危機感を感じるのである。
 結果の出ない者たちを応援する気になれないサポーターの言い分。応援を感じられず多く批判に晒される事で、応援に応えようという気が湧かない選手や監督側の言い分。これらは恐ろしく上手く噛み合い、みるみる悪循環の沼に嵌っていくサイクルになってしまうという事。
 近年のオランダ代表や数年前のフランス代表など、世界的強豪国ですらサポーター・選手・監督・協会の四つ巴の“内紛”のように、サッカーを取り巻くそれぞれの想いがバラバラになってしまう事例がある事。
 今回のW杯である程度の結果を残せなかった場合、さらに4年後の22年カタール大会ではさらに関心は薄くなり、日本サッカーは近年の“盛者”の立ち位置から“必衰”のレールに線路は切り替えられてしまうだろう。それくらいには危機的な状態である。

しかし我々は、サッカーを、日本代表を愛している。

 このような無責任な批判を垂れている無力で傲慢な私に今何ができるかと言えば、ただひたすらに“応援”をするしか手段がないのだ。無責任で傲慢なコラムを書く事で“関心”を煽る程度の事しか出来ないのだ。
 私の愛する、そして多くの人から愛される日本のサッカーというコンテンツが、決して衰退する事の無いように、多くの夢や熱狂をこれからも届け続けてくれることを願い、どうか皆さんも私と一緒に無責任に愛を込めて叫んではくれないだろうか。『日本頑張れ!!』と。

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