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ワールドカップでその雄姿を見たかった日本代表ベストイレブン[完結編]

岩崎 充

2017/12/01 08:47

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NEWS

Jリーグで圧巻のパフォーマンスを披露しながらも、怪我などにより残念ながら日本代表に定着できなかった選手たち。
前回の記事で4名を紹介したが、今回残りの7名をポジション別にピックアップした。

国内最高レベルのワンタッチスコアラー

名前:佐藤寿人
身長:170cm
体重:70kg
ポジション:センターフォワード
個人タイトル:
Jリーグベストイレブン(2005年、2012年)
Jリーグフェアプレー個人賞(2007年、2012年、2013年)
Jリーグ最優秀選手賞(2012年)
日本年間最優秀選手賞(2012年)
J2得点王(2008年)
Jリーグ得点王(2012年)
クラブワールドカップ得点王(2012年)
A代表キャップ数:31

ご存知日本を代表するゴールハンターの一人。

市原ユース出身、双子の兄とともに2000年にプロデビューするとその3年後仙台でレギュラーに定着。
2005年に広島へ移籍してからも毎年ゴールを量産し続け、12年連続2桁得点という偉業を達成。そのプレーのみならずキャプテンとしてもチームを牽引、広島黄金期の中心メンバーとして絶大な存在感を発揮した。

小柄だがスピード、ポジショニング、そしてシュート技術に秀でており、その凄さは獲得した個人タイトルをみれば一目瞭然。
当然のように日本代表へ推す声は多かったが、代表デビューした2006年に惜しくもW杯メンバーから外れると、次の2010年も好調を維持するも最終的には落選。

国内最高クラスのストライカーながら代表は31試合4ゴールにとどまっている。

名波が尊敬する日本屈指のMF

名前:藤田俊哉
身長:174cm
体重:64kg
ポジション:オフェンシブハーフ
個人タイトル:
Jリーグベストイレブン(1998年、2001年、2002年)
Jリーグ最優秀選手賞(2001年)
日本年間最優秀選手賞(2002年)
A代表キャップ数:24

サッカー王国静岡が生んだ中盤の名手。
筑波大卒業後、1994年に磐田に入団すると1年目からレギュラーとして台頭。常勝軍団となったジュビロの中心メンバーとして長年活躍した。
JリーグMVPを獲得した2001年には、藤田に加え名波、奥、福西、服部の5名で構成される中盤(通称N-BOX)でJリーグを席巻した。

抜群のサッカーセンス、そして得点力を兼ね備え、MF登録の選手として初めてJリーグで100ゴールを記録。
日本代表にも度々招集されるも中田や小野、中村俊輔といった選手の陰に隠れる形となり代表には定着できなかった。

現在は海外で指導者としての道を歩んでおり、近い将来またピッチサイドでその雄姿が見られるかもしれない。

「マイアミの奇跡」立役者

名前:伊東輝悦
身長:168cm
体重:70kg
ポジション:オフェンシブハーフ、ディフェンシブハーフ
個人タイトル:Jリーグベストイレブン(1999年)
A代表キャップ数:27

3人目は43歳の鉄人、伊東輝悦選手をボランチとして挙げたい。
1993年に高校卒業後清水エスパルスに入団、3年目にレギュラーに定着すると1996年のアトランタオリンピックにもU-23日本代表として出場。
ご存知、ブラジルを撃破した「マイアミの奇跡」でゴールを挙げ一気に知名度を上げた。その後2011年に甲府へ移籍すると、J1史上初500試合出場という記録を達成。現在もJ3のアスクラロ沼津に在籍する現役のJリーガーだ。

もともとはドリブルを得意とする攻撃的な選手だったが、その運動量と守備能力を買われボランチへコンバート。

日本代表では1998年フランスW杯に選出されるも出場機会なし。2002年の日韓大会は怪我の影響もあり、また稲本や明神といった同じボランチタイプの選手に押し出され選外となった。

鹿島の系譜を受け継ぐ名DF

名前:岩政大樹
身長:187cm
体重:85kg
ポジション:センターバック
個人タイトル:Jリーグベストイレブン(2007年, 2008年, 2009年)
A代表キャップ数:8

安定した強さを誇る鹿島には常に優秀(かつ屈強な)なセンターバックがいるが、岩政選手もその系譜を受け継いだ名DF。2004年大学卒業後鹿島に入団すると、シーズン後半にレギュラーに定着。2013年に退団するまで多くのタイトル獲得に貢献した。

恵まれた体格を生かした対人戦に強さを発揮。特に空中戦の強さは攻撃面でも大きな武器であり、DFながら9年連続ゴールを決めている。

日本代表は2008年に初招集されると、2年後の南アフリカW杯のメンバーにも選出。しかし中澤、闘莉王のバックアップにとどまり主力としての活躍は見れなかった。

35歳となった現在は、Jリーグ参入を目指す東京ユナイテッドFC(関東リーグ1部)に選手兼コーチとして身を置いている。

最終ラインの統率者

名前:田中誠
身長:178cm
体重:74kg
ポジション:センターバック
個人タイトル:Jリーグベストイレブン(1998年、2002年)
A代表キャップ数:32

1996年から2002年の7年間優勝を分け合っていたのが鹿島と磐田。
前述の藤田とともに磐田の黄金期を支え、このチームの最終ラインを統率していたのが田中誠だ。

名門、清水商高卒業後1994年に磐田に入団。2年目から徐々に出場機会を増やし、2008年に退団するまでジュビロ磐田の主力として戦い続けた。

特徴はクレバーな守備。的確なラインの統率とカバーリング能力を持ち、対人に強い鈴木秀人や大岩との相性は抜群。まさに日本屈指のディフェンスリーダーだった。

伊東と同じくアトランタオリンピックに出場。高校時代の同期、GK川口とともに守備面で「マイアミの奇跡」を演じた。
一方、A代表では加茂ジャパンに招集されるも怪我で辞退すると、ジーコジャパンの時代に出場機会を得るが、またも負傷により2006年のワールドカップに出場できず。

もう一人のミスターレッズ

名前:山田暢久
身長:175cm
体重:72kg
ポジション:サイドバック、センターバック、オフェンシブハーフ、ディフェンシブハーフ
A代表キャップ数:15

福田正博と並び「ミスターレッズ」と称される右サイドバック。

1994年に浦和レッズに入団すると2013年に引退するまで浦和一筋でプレー。その出場数は500を超えた。
デビュー当時は2トップの一角で出場、2年目からは右サイドバック/ウィングバックが主戦場となるが、状況により中盤やセンターバックでプレーするなどGK以外の全てのポジションをこなした。

日本代表には2002年に初招集。翌年こそジーコジャパンの主力としてプレーするも、2004年に代表合宿中の無断外出により代表から外され、それ以降は残念ながら声がかからなかった。

日本屈指のユーティリティプレイヤーの活躍を日本代表でももっと見たかった。

日本代表を陰で支えた名GK

名前:ハーフナー・ディド
身長:187cm
体重:88kg
ポジション:ゴールキーパー
個人タイトル:
JSLベストイレブン(1987-88)
A代表キャップ数:0

ゴールキーパーにはハーフナー・マイクの父親であり、長年日本サッカー界に貢献した名守護神を選びたい。

オランダ出身のディドが日本へ来たのは1986年、29歳の時。同郷のハンス・オフトに誘われる形で当時のマツダFC(現サンフレッチェ)にコーチ兼選手として加入。1991年にはトヨタ(現グランパス)にGKコーチとして移籍するもJリーグ開幕とともに現役に復帰。その後ジュビロ磐田、コンサドーレ札幌でも活躍した。

プロ化前の日本サッカーにおいて特にゴールキーパーはレベルが低かったが、当時オランダのADOデン・ハーグから移籍したディドのプロとしての姿勢は多くの日本人選手に影響を与えた。

1993年、ディドは日本代表にGKコーチと言う形で参加。あのドーハの悲劇を経験したメンバーでもあり、悲劇の瞬間ベンチのディドはGKグローブをはめピッチを見つめていた。

日本に帰化するもその後プレイヤーとして代表に呼ばれることはなく引退。一度でいいから日の丸のユニフォームをまとった姿を見たかった。

以上が今回紹介した7名。前回の4名と合わせた最終的なイレブンはこちら:

やや攻撃重視になりそうな布陣だが・・・どの選手ももっと代表で活躍が見たかった名手ばかりだ。

そして今週末はJ最終節。前回の記事で紹介した石川選手の最終章も見逃せない。

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