Shooty

ポルトガル・リーグのポルティモネンセSCに移籍を果たした中島翔哉の挑戦

扇ガ谷 道房

2017/09/08 11:45

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク

NEWS

時は江戸時代、鎖国政策の我が国で唯一海外との交易が許されていたのが長崎の出島。その交易先の主体はポルトガルとオランダでした。
日本の食べ物として定着している天麩羅もカステラも、実はポルトガルから伝来した事を知る人は多くは無い筈です。

鎖国時代から我が国には馴染み深いポルトガルに、一人のサッカー選手が旅立ちました。FC東京の中島翔哉選手です。
ビッグネームでは無い中島選手とはどんな選手なのか、略歴と共に、移籍先のクラブであるポルティモネンセSCの情報をご紹介致します。

若手選手ながら多彩な経歴の持ち主

164cm、64kg。プロサッカー選手としては極めて小柄な体格をしている中島選手です。
生まれは東京、現在23歳。ヴェルディ・ジュニアに入団した事が、この世界に関わる事になるきっかけでした。
23歳という若手ながら、略歴を辿ると、なかなかに多彩です。

所属したクラブは、育成年代時代から所属した東京ヴェルディから、FC東京、カターレ富山、代表歴はU16からリオデジャネイロ・オリンピック代表まで各年代で選出。
中学生の時には三度もブラジルにサッカー留学をしており、日本クラブユース選手権で獲得したベストヤングプレーヤー賞の特典として、オランダのアヤックスに短期留学をした経験も持ち合わせています。

たかだか10年足らずの間に、これだけめまぐるしく様々な環境に身をおいた経験をしているプレイヤーは、多くはありません。
最も華々しい成果は、2016年のリオデジャネイロ・オリンピック代表として、背番号10を背負って本戦に出場した事です。
グループリーグ第2戦のコロンビアとの一戦に先発出場し、相手GKの頭上を抜くミドルシュートを決めた事を、ご記憶の皆さんも多いのではないでしょうか。残念ながらチームは決勝トーナメントに進出する事はできませんでした。
一方で、Jリーグでの実績はというと、数字上はさしたる成績を残せている訳ではありません。
J1出場30ゲームで得点は4。J2出場57ゲームで得点は8。この成績が全てです。
良く言えば、潜在的な可能性を懸けた挑戦的海外移籍と言えますが、悪く言えば、確たる成果の定まっていない状態で海外に旅立つ選手と言えましょう。


by CZOブログ

  

成果を期待されたカターレ富山への移籍

東京ヴェルディで2シーズンを経た後、2014年にFC東京へ完全移籍し、FC東京籍のままJ2のカターレ富山に1年間の期限付き移籍します。
出場機会を求めての移籍で、J1籍のままにJ2に期限付き移籍するという選択をした訳ですが、カターレ富山においてその成果を発揮できたとは言い難いシーズンでした。
出場は28ゲームを記録していますが、ゴール数は2。東京ヴェルディから見ても、FC東京から見ても、遥かに格下クラブであるカターレ富山に移籍した意味は、当然ながら単なる出場機会の消化ではではなく、ゴール数であり、プレイスタイルの確立であった筈です。
ポジションが定まらなかった事もありますが、ドリブルに自信があるせいか、個の力による打開に重きを置き過ぎた結果、チームを見渡し切れず、個も集団も活かせなかったきらいがあります。
結局、ゴール数も、プレイスタイルも確立できぬ儘に半年が経過し、期限満了を待たず同年8月にFC東京に復帰します。
 

Jリーグでの実績が乏しい選手の海外移籍

FC東京復帰後2年半の実績は、出場30ゲームで、ゴール数4。つまり、この2年半の実績が、中島選手のJ1での全実績という訳です。ちなみに昨シーズンのスタメン出場ゲームは僅かに4。
ドリブル突破力は有る程度認められるものの、やはりまだプロサッカー選手としての位置付けが固まっているとは言い難い選手です。
圧倒的なドリブラーでも無いし、パサーという訳でも無く、ストライカーとも言い難く、時として俊敏性を活かしたプレイで湧かせる事はあるものの、どのポジションの選手で、何で成果を出せているのかというと、疑問符を付けざるを得ません。

同チームのストライカーである大久保嘉人選手へのパサーとも言えないし、東慶悟選手の存在を脅かしているレベルとも言えず、どのポジションもこなせるポリバレント性が際立っている訳でもない。
リオデジャネイロ・オリンピックで背番号10を背負った選手なのですから、総合力は認められるものの、これぞ中島選手というポジション、プレイスタイル、戦績が定まっていない、未発達のサッカー選手であると、筆者は観ています。
それ故に、主要リーグとは言えないまでも、ヨーロッパリーグのクラブに移籍する事は、かなりギャンブルの可能性を否定できないと思うのです。

サンフィレッチェ広島のミキッチ選手は常々、「ヨーロッパならどこでもいいという感覚が理解できない」と、世界的に一定水準のあるJリーグから、安易にヨーロッパのクラブへ移籍する若手選手に警鐘を鳴らしています。
ましてや、Jリーグで明確な成果を出し得ていない選手の海外移籍に関しては、筆者は否定的に考えています。
プロのアスリートは結果が全て。Jリーグだろうが、海外移籍だろうが、所属クラブでどれだけ活躍できるかと言う、明確な結果で表されます。
Jリーグで結果を出せていない中島選手にとって、今回の海外移籍は、その結果をより明確に求められる事になります。
短いアスリート人生で、折角訪れたチャンスですから、この海外移籍で成果を出して欲しいと願いますが、厳しい目がある事も事実です。

ポルティモネンセSCというクラブ

中島選手が2017年8月27日から2018年6月30日まで期限付き移籍する事になったのはポルティモネンセSC。
ポルトガルのサッカーリーグ1部のプリメイラ・リーガに所属するクラブです。
長らく2部に定着していたクラブで、昨シーズン2部で優勝を果たし、久々に1部リーグに復帰したクラブであり、ポルトガルのクラブの中では強豪チームに位置付けられている訳ではありません。
ポルトガルで強豪クラブと言えば、ベンフィカ、ポルト、スポルディングCPが有名で、昨シーズンの王者はベンフィカでした。ちなみに、現ヴィッセル神戸の田中順也選手が、2014年シーズンから2シーズンスポルディングCPに在籍していました。
ポルティモネンセSCの創設は1914年ですから、100年超の歴史を有しています。ホームスタジアムはエスタディオ・ムニシパル・デ・ポルティモンで、収容人員9,544名。

2部時代の2013年から2シーズン、現鹿島アントラーズの金崎夢生選手が在籍していた事でも知られています。
又、2011年に浦和レッズに在籍していたマゾーラ選手(現在は中国リーグの貴州智誠)も金崎選手と同時期に、そして現在浦和レッズのマウリシオ選手も2014年に在籍していました。
2部暮らしが長いチームでしたから、久々に昇格した今シーズン、1部に定着できるのかが問われています。筆者執筆時点で、1部18クラブ中13位に位置しており健闘しています。中島選手が1部定着の原動力になれるかも問われています。

FC東京での最終戦となった2017年8月26日の横浜F.マリノス戦では、後半35分から途中出場し、惜しくも得点にはならなかったものの、相手ゴールポストを直撃するシュートを放つ見せ場を作ってくれました。
ポルトガルへ旅立つ前に、一般女性との結婚も発表されて、公私共に充実して新天地に向かう事になりました。
ポルティモネンセSCの1部リーグ定着に貢献できる活躍ができる様、期待しましょう。

スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
「いいね!」しよう