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デビュー戦でいきなりゴール!パチューカに移籍した本田圭祐選手の挑戦

扇ガ谷 道房

2017/08/25 08:31

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NEWS

持ってる男は、新天地で又もややってくれました。ACミランからメキシコのCFパチューカに移籍した本田圭祐選手は、デビュー戦となる8月22日のベラクルス戦で後半途中から出場すると、その15分後に鮮やかなミドルシュートでゴールを決めてしまいました。
右脚の状態が思わしく無いと伝えられていた上に、後半途中からの限られた時間で結果を出すというのは、実力も運も持ち合わせている証拠です。
CFパチューカのサポーターに、いきなり強烈な印象を与えて心をわし掴みにする所が、本田選手らしいと言えます。
移籍したCFパチューカ情報と共に、本田選手のサッカー人生を振り返ってみましょう。


by futmexnation.com

CFパチューカに在籍していた意外な人物

ACミランからの移籍先に注目が集まる中、本田選手が新天地に選択したのは、ヨーロッパ主要リーグのクラブではなく、意外にも北米メキシコのクラブであるCFパチューカでした。
日本人サッカー選手の移籍先としては想定外のクラブと言えますが、人々の想定を覆していく決心をする本田選手の選択は、個性的なパーソナリティの持ち主である本田選手らしさを、多くの皆さんも感じた事でしょう。
意外に思えるクラブですが、同様に意外な人物との繋がりもあるのです。実は、現日本代表監督の前任者だったハビレ・アギーレ監督(現・UAEアル・ワフダFC監督)です。
アギーレ監督は、1998年から2001年にかけて、CFパチューカの監督を務めていました。その後2001年に、2002年W杯出場に赤信号が点った状態のメキシコ代表監督に就任し、劇的に勝ち点を伸ばしてW杯日韓大会への出場を果たしました。
CFパチューカでの監督経験が、代表監督として世界デビューするアギーレ監督のその後の人生のきっかけとなったとも言えます。
そしてもう一人、福田健二氏です。2005年にCFパチューカに所属していました。福田氏は、高校卒業後に名古屋グランパス(エイト)に入団し、5シーズンで37得点したストライカーでした。その後、海外クラブを渡り歩いた異色の日本人サッカー選手の一人です。2004年に名古屋グランパスに入団した本田選手の先輩にあたります。
奇しくも、共に名古屋グランパスでプロサッカー選手人生を始めて、CFパチューカにも所属し、海外クラブで活躍するという、共通性があります。
メキシコ・リーグのクラブは我々日本人にとって、毎年年末に行われるクラブW杯で出場する北米代表のクラブとして認識する程度という印象がありますが、本田選手の移籍したCFパチューカは、本田選手にとっては、少なからず縁のある人物が関わっていたのです。
 

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想像し難い少年時の挫折

本田選手は、元々ガンバ大阪ジュニアユースに所属して、プロサッカー選手を目指しているサッカー少年でした。
然しながら、比較的早い段階でその夢の挫折が訪れました。ガンバ大阪ジュニアユースからユースに昇格する事ができなかったのです。
当時のガンバ大阪ジュニアユースには、本田選手の同期生に、天才と呼ばれるサッカー少年が存在していました。現在川崎フロンターレに所属している家長昭博選手です。筆者既著の「ガンバ大阪史上最高傑作と評された男が川崎フロンターレに!家長昭博選手の軌跡」(https://shooty.jp/9742)をご参照下さい。
その為、高校生の時にガンバ大阪を離れて、星稜高校に進学して高校サッカーでの活躍の道を選択します。甲斐あって高校卒業後には、名古屋グランパスに入団する事になって、晴れてプロサッカー選手になったという道のりでした。
日本代表選手の中心として活躍する現在の本田選手からは想像できない事ですが、少年時代の挫折の結果今があるのです。
 

小学生時代からの夢を実現

名古屋グランパスに4シーズン在籍した後、オランダ・リーグのVVVフェンロに移籍し、海外デビューを飾ります。名古屋グランパス4シーズンで11得点、圧倒的な存在感を発揮している訳でも無く、日本代表にも選出されていない時代でした。
若い時から海外志向の強かった生き様の表れで、この選択から本田選手の世界への挑戦と、その後の活躍のプロセスが始まったのです。
以下がその後の所属クラブ状況です。
2007-2010 : VVVフェンロ(オランダ・リーグ)
2010-2014 : CSKAモスクワ(ロシア・リーグ)
2014-2017 : ACミラン(セリエA)
ACミランでは背番号10を背負い、「Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。そしてレギュラーになって10番で活躍します。」と書いた、小学生時代の作文の夢を、実現してしまいます。
そして今、CFパチューカでメキシコ・リーグでの挑戦が緒についたばかりです。
  

CFパチューカというクラブ

CFパチューカはメキシコ・リーグで最古の歴史を誇る名門サッカー・クラブです。
王立パチューカ鉱山会社の鉱山労働者が余暇時間にサッカーを始めた事がクラブの起源と言われています。かなり泥臭いルーツのあるクラブと言えます。
アマチュアリーグ時代に3回、プロリーグとしては5回の優勝経験を誇りヨーロッパで言うUEFAヨーロッパリーグに当たるコパ・スダメリカーナを2006年に制している名門クラブでもあります。
国内リーグを闘うクラブの運営のみならず、通称サッカー大学と呼ばれる中学校から大学院修士課程までの課程があるサッカー・スポーツ科学センター大学を開校する等、泥臭いルーツであるクラブながら、時代を先取りしたクラブ運営を行っている近代的クラブとしての側面も有しています。
下部組織での選手育成も定評があり、トップ・チーム内の下部組織出身者数が高い事でも知られています。
又メディアに対する対応力も高く、クラブ内に自らのスタジオを保有し、テレビ、ラジオ番組を独自に制作し配信まで行っています。
この様なバックボーンを持つクラブとして、選手のサポーターやメディアに対する対応も見事で、メキシコ・リーグのクラブとしては、極めて高い規律を維持しているクラブと言えます。
ホームスタジアムはエスタディオ・イダルゴ。収容人員3万人です。


by infodeportes.com

本田選手のデビュー戦

2017年8月22日、本田選手はホームで行われたベラクルス戦で、メキシコ・リーグのデビューを飾りました。
メキシコ・リーグが開幕してから、右ふくらはぎの肉離れが原因で、スタメンどころか5試合はベンチ外という状態でした。
後半12分にトップ下で途中出場すると、2分後にチームは左CKのチャンスを得ます。選手が密集する中央のエリアを離れてファーサイド側に流れた本田選手に、ワンバウンドで絶好のチャンスボールが転がりこみますが、余りにも絶好球過ぎたからか、ヘディングを試みたもののボールは後頭部に当たり、ボールはゴール後方に流れます。
然し、本領を発揮できるトップ下というポジションを任された本田選手は、多くのボールに絡みます。
後半27分、GKだけを残して全員がCFパチューカ陣内で攻撃参加したベラクルスは、CFパチューカにボールを奪われると、本田選手のポストプレーから2タッチで、ピッチ中央の本田選手にボールが戻り、相手二人を振り切った本田選手が左足でミドル・シュートを放つと、ゴール右隅にボールは吸い込まれます。
本田選手は、後半途中からのメキシコ・リーグ初出場15分で、初ゴールを決めるという快挙を成し遂げてしまいました。
相手が2点ビハインドで、リスクを冒して攻撃せざるを得ない状況でのカウンターという場面で、何故か本田選手を追いかけた相手DFも全速力で対応していなかったという好運もありましたが、それも含めて持ってる男の結果だったと言えるゴールでした。
右ふくらはぎの肉離れも問題無さそうですし、最も能力が生きるトップ下というポジションを任されており、今後もCFパチューカでの活躍が望めそうです。 

ACミランという世界的な名門クラブで、誰もが納得できる成果を出せなかった本田選手ですが、新天地のデビュー戦を見る限り、今までの経験は十分に活かされる環境に身を置いた感があります。
メキシコ・リーグという日本人には馴染みの薄いリーグに所属した本田選手ですが、様々なメディアを通じて、本田選手の活躍を目の当たりにして行きましょう。

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