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今だからこそ知ってほしい川口能活と楢崎正剛というカリスマGK

Dr.Wildcat

2017/05/15 08:26

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NEWS

川口能活と楢崎正剛。

サッカーに詳しくない人でもその名を一度は聞いたことがあるかもしれない。
かつて10年以上にわたり日本代表の正GKの座を争った2人は、20年を超える今もなおJリーグで現役を続けている。
今回はいまや大ベテランと呼ばれる彼らのキャリアを改めて紹介したい。

歴史を変えた守護神・川口能活

静岡の名門・清水商業高校を卒業後、横浜マリノス(当時)に入団。

オフトジャパン時の日本代表である松永成立がレギュラーであった中、プロ2年目で正GKに抜擢。
95年の年間優勝の立役者の一人となり同年のJリーグ新人王も受賞。
2001年にはイングランド1部(当時)のポーツマスに移籍し、日本人GKで初の海外移籍を果たした。

彼を語る上で欠かせない試合として、後に“マイアミの奇跡”と呼ばれるアトランタオリンピックのブラジル戦がある。
オーバーエイジにリバウドとベベット、後に大スターとなる若かりし頃のロナウド、超攻撃的左サイドバックのロベルト・カルロスなどワールドクラスの攻撃力を誇るブラジル代表。
下馬評では圧倒的に不利の中、サンドバッグ状態といっても過言ではない28本のシュートを川口は徹底的に止めた。まさに日本の守護神ともいうべき姿であった。
その後も、AFCアジアカップ2004のヨルダン戦、FIFAワールドカップ2006ドイツ大会のクロアチア戦など後世に語られる伝説的な試合にはいつも彼の姿があった。

ロングセラーGK・楢崎正剛

奈良育英高等学校を卒業後、1995年に横浜フリューゲルス(当時)へ入団。新人ながら当時の正GKが長期離脱するというチーム事情からレギュラーに抜擢される。
クラブが1998年限りで消滅が決定するなど悲運にも見舞われたが、最終戦となった1999年元日の天皇杯ではスタメンで出場し有終の美を飾った。
1999年より名古屋グランパスエイトに移籍し、さまざまなGKが入退団を繰り返す中で常にレギュラーを守り続けている。
その中には、日本代表でも活躍する若かりし頃の川島永嗣もいたが彼のポジションを奪い取ることはできなかった。
2010年には主将としてクラブのリーグ初優勝に貢献し、GKとして初めてJリーグMVPに選出されるなど多くのタイトルを獲得した。

日本代表は1996年に初選出。1998年の初キャップから2010年の代表引退までに記録したキャップ数は77試合。
彼の特筆すべき点は加茂周、岡田武史、フィリップ・トルシエ、ジーコ、イヴィチャ・オシムとサッカーの方向性が様々な5名の監督が入れ替わる中でも代表に選ばれ続けたことである。
代表キャップ数76試合は川口能活の116試合に数でこそ劣るが、その安定感には目を見張るものがあった。
FIFAワールドカップ2002日韓大会では、地元開催のプレッシャーの中でロシアとチュニジアを相手にクリーンシート(無失点)を達成。
日本代表史上初のワールドカップ勝利に貢献し、大会を通じて4試合3失点と抜群の安定感を発揮。その後も長年にわたり日本代表のゴールキーパーとして川口能活と双璧をなす存在となった。

彼らの現在位置

FIFAワールドカップに4大会連続で出場し、日本サッカー界の最高峰で戦っていた2人も40歳を超えた。
ゴールキーパーは他のポジションに比べて寿命が長いと言われるが、彼らの域までくるとなかなかたどり着けるものではない。

楢崎正剛は名古屋グランパスエイト在籍18年目を迎えている。クラブは昨シーズンに史上初のJ2リーグ降格という憂き目にあったが、
クラブのバンディエラとして若手を鼓舞しながら今もなおレギュラーポジションで闘い続けている。

川口能活はJ3リーグSC相模原に在籍中。横浜F・マリノス、ポーツマス(イングランド)、FCノアシェラン(デンマーク)、ジュビロ磐田、FC岐阜と
各カテゴリーを渡り歩いた男は奇しくもキャリアをスタートさせた神奈川県のクラブにて24年目のシーズンを迎えた。
このあたり、名古屋一筋で歩んできた楢崎正剛と対照的なのも興味深い点である。

大ベテランと言われる彼らのキャリアは決して長くはない。
ここ数年でJリーグのファンになった若いサポーターにもぜひ一度スタジアムで彼らの醸すオーラを体感していただきたい!

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