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J1 J2 J3 全てのカテゴリーに出場した松本怜が、大分トリニータをJ1 復帰へ導く。2017年J2の注目選手

勝村大輔

2017/02/13 16:54

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by aomori-goal

J1 J2 J3 全てのカテゴリーにおいて、先発出場を果たしたという珍しい記録を持つ選手がいます。大分トリニータ所属の松本怜選手です。

なぜこのような記録が生まれるようになったのかというと、それは、所属する大分トリニータのチーム事情による影響が大きい。かつての大分トリニータは、2008年にナビスコ杯を制するなど、西川周作選手(浦和レッズ)や森重真人選手(FC東京)、そして、金崎夢生選手(鹿島アントラーズ)や清武弘嗣選手(C大阪)など、日本代表選手を数多く輩出してきました。現在に至るまでの日本サッカー界に、多大なる貢献をしてきたチームの1つです。

そんなJ1の舞台で旋風を巻き起こしてきた大分トリニータでしたが、その後、2009年に債務超過が発覚します。その額は12億円にまで上り、チーム消滅の危機を迎えることになります。主力選手の放出を余儀なくされた大分トリニータは、大幅な戦力ダウンに陥り、翌年の2010年にJ2降格の苦渋を味わうことになります。その後、一度はJ1 に返り咲くものの、再びJ2へ降格、歯車が狂ってしまったチームを立て直すことができず、遂には、2015年、町田ゼルビアとのプレーオフに敗れ、J3にまで降格することとなってしまいました。

しかし、奈落の底に突き落とされた大分トリニータの復活劇は、ここから始まります。首位を独走する栃木SCに追いすがる大分トリニータは、失速する栃木SCを尻目に、怒涛の勢いで勝ち星を積み重ね土壇場で逆転、優勝争いを制し、意地のJ2昇格を果たしました。

J2降格からJ3降格、そしてJ3優勝を持ち土産に再びJ1復帰への挑戦が始まろうとしています。この一連の激動時代をチームと共に歩んできた選手がいます。それが松本怜選手です。「みんなで勝ち取ることができました。味わったことがない最高の気持ちです。昨年流した悔し涙を今年は嬉し涙にできました。大分にいて良かったです。」J3優勝決定後のツイートから伺える”大分愛”そして、J1 返り咲きへの巻き返しを誓う松本怜選手のこれまでの歩みを振り返ってみたい。


by Twitter

松本怜 (まつもと れい)
1988年2月25日生まれ
出身地:北海道
175cm68kg
利き足:右足
ニックネーム:レイチェル
経歴:青森山田高校→早稲田大学→横浜Fマリノス→大分トリニータ

横浜Fマリノスから大分トリニータへ期限付き移籍】

2010年、横浜Fマリノスに入団した松本怜選手は、持ち前のスピードを武器に、右ウイングバックとして活躍が期待されていましたが、レギュラーを掴むことができずに、2013年に大分トリニータへの期限付き移籍します。

「おれはこんなところでは終わりません。でかくなります。」移籍発表後のツイートからは、出場機会を熱望する、松本怜選手の並々ならぬ決意が表れていました。プロサッカー選手の誇りを賭けた挑戦が始まりました。

度重なる負傷離脱

2013年、J1 昇格を果たしたと大分トリニータにとって大切な、ホーム大分銀行ドームで行われたFC東京とのJ1 開幕戦。松本怜選手はスタメンに名を連ねました。しかし、その大一番に、思わぬアクシデントに見舞われてしまいます。

開幕戦で負傷した松本怜選手でしたが、怪我をおして強行出場を続けます。そして迎えた第4節、柏レイソル戦でJリーグ初得点を記録します。「なんとかリーグ初ゴールを決めることができました!ですが、チームを勝たせることができなかったことに悔しさで一杯です。次こそは勝利につながるゴールを。」

しかし、強行出場の代償は少なくなかったようです。復帰に向けてリハビリに励む松本怜選手のツイートから感じ取ることができるのは焦燥感に他なりません。4ヶ月間に及ぶリハビリを終えた復帰直後に、疲労骨折が発覚。再びリハビリ生活を強いられることに。「正直、落ち込みそうになりましたが、落ち込んでいる暇は僕にはないので、またゼロから鍛えなおしています。」このツイートに対するファン・サポーターの心配の声に応えるように、「怪我だからこそできることもあります。勝利に向けてトリニータ選手みんな日々頑張っているので、僕もその一員として勝利に向かって頑張ります!」翌日改めて、このようにツイートした松本怜選手でしたが、相次ぐ負傷離脱の影響により、出場8試合にとどまり、チームもJ2降格が決定してしまいました。

芽生えてきたリーダーの自覚

2015年、大分トリニータへの完全移籍。チームと共に躍進を誓った松本怜選手でしたが、自信を喪失したチームを救うことはできませんでした。J1 復帰を賭けて臨んだJ2での戦いでしたが、開幕から4戦勝ちなしという最悪なスタートを切ることになります。第5節でVファーレン長崎に競り勝つも、その後、泥沼の13戦連続で勝ち星を逃すことになります。復調の兆しを見ることなく、大分トリニータは、更に下のカテゴリーへ降格することになってしまいます。

そして迎えた2016年、前述のとおり、J3を制し、最短でJ1 へ昇格への挑戦権を取り戻しました。チーム崩壊から再生へ。昨季の開幕を前に、「若い選手が増えたし、自分が引っ張っていける存在になりたい。」と語っていた松本怜選手。その言葉どおりに、J3優勝に導いた松本怜選手は、こう続けました。「大分トリニータは、戻るべき場所へ戻らないといけない。戻るべき場所はもちろんJ2ではなくJ1だと思っています。」経験した者にしか語れない言葉を胸に、いよいよJ1 復帰への挑戦が始まります。

最後に、松本怜選手はこのようなツイートも残しています。「僕は常にサッカーを楽しんでいます。試合で全力で気迫をもって闘う気持ちとかは最低限の当たり前のことで、そんな全力のなかで、うまくいかなかったプレーも、うまくいったプレーも、全て楽しんでサッカーやってます!!」早稲田大学時代に、松本怜選手が書いた卒論『サッカー選手のモチベーション変化と競技力の関係性』も是非一読してみたいものですね。

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